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「人新世」に思うこと

人類が地球の地質や生態系に与えた影響に着目して一つの地質時代の区分として提案されているのが「人新世 (じんしんせい、ひとしんせい)」です。2000年代に提唱され、2009年に国際地質科学連合で人新世作業部会が設置されて、正式な地質年代区分とするかについて議論が続いているとのことです。

学術的な地質時代の区分と言うことであれば、地層や岩石中に明瞭なマーカーで定義する必要があると思うので、地層中のなにをもって「人新世」と定義するか議論の余地があるということなのでしょう。

現在、新生代は古第三紀、新第三紀、第四期に区分されていて、それぞれ、古第三紀は暁新世、始新世、漸新世の3つに、新第三期は中新世、鮮新世の2つに、そして第四期は更新世、完新世の2つに区分されています。この最も新しい完新世をさらに人類がもたらした地球への影響、地層に残るような影響を考慮して「人新世」として区分しようという議論です。

地質学的な定義はいろいろと議論があると思います。年末に大学の同期や先輩方とオンライン飲み会をした時もこの話題になりました。例えば、産業革命後の痕跡がマーカーになるのではないかとか、原爆・水爆実験を含めた核の使用痕跡がマーカーになるのではないかとか、地下資源を大々的に取り出してエネルギーとして使用した痕跡がマーカーになるのではないかとかいろいろな意見がありました。実際、上記ウィキペディアにもあるように学会でも様々な議論があるようです。

ただ、議論に挙がっている、地層に残る (残っている)「人新世」の定義に使われる可能性のある痕跡の多くが、地球にとって、あるいは地球上に住む生物にとってネガティブなインパクトを与える (与えてきた) とみられるものが多いというのが、「人新世」の主人公でもある私たちにとっては、それこそ地球の歴史に残る屈辱のようにも感じます。

現在の人類の生きた証とともに、地球環境の改善や生物多様性の改善などの痕跡を残すことができれば、現在の人類の努力やポジティブな側面も地球史に刻まれるのにと思ったりしています。

地質学は人類の歴史とは時間軸の違う話だと何となく思っていましたが、「人新世」の議論の中で、私たちの生きた証も地層に痕跡として残るのかもしれないと思うと夢があるなと思う反面、遠い将来、「人新世の時代の人類はいったい何をやってたんだよ」と呆れられないようにしなければと襟を正したい気分にもなります。

「人新世」の学術的な議論はまだまだ続くかもしれませんが、私たちの生き方の議論として「人新世」を考えてみるのも有意義なのではないかと思います。

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