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長崎原爆投下から78年

昭和20年(1945年)8月9日午前11時2分長崎に原爆が投下されました。広島の原爆投下からわずか3日後のことです。

アメリカ合衆国は広島にはウランを使った原爆を、長崎にはプルトニウムを使った原爆を使用しました。長崎で使用されたようなプルトニウム型の原爆の実験が行われたのは、投下のたった1ヶ月前の1945年7月16日のことだそうです。それがアメリカ合衆国で行われた人類最初の核実験でした。

ウラン235が使われた広島型の原爆にいたっては事前に実験をすることもなく広島で使用されたそうです。

何十万人という一般市民が暮らす都市に、そのような爆弾を落とすことを決意させてしまう戦争。その決定が、戦後の覇権などを見越した冷徹な政治的判断だったのか、戦時下で追い込まれた苦しい判断だったのか、冷静さと人間性を失った狂気の決断だったのか私にはわかりませんが、科学的に、一般市民にこれだけの大きな被害が出ることが予想されながら、民主国家と言われる国が核兵器を使用するという決断に至ったことに、私は背筋が寒くなります。

「核抑止」は本当に機能するのだろうかと考えてしまいます。広島・長崎以降核兵器が戦争で使用されていないのは本当に核抑止が機能しているからなのだろうかと。

もし仮に多少なりとも「核抑止」が効いているとしても、統治者が自国の核による被害をどの程度なら許容できるか、その考え方次第で、核抑止の効果は一気に失われてしまいます。反撃も全面的には行われないだろうと判断すれば、ちょっと攻撃して様子を見てみようという反理性的なならず者が出てくるかもしれません。

核による反撃を許容できると考える狂気の統治者が出てくれば、核抑止などというものは幻想となってしまいます。相手が核を使うことも辞さないほど理性を失ってしまえば、核抑止など意味もないということです。核抑止がお互いの一定の理性の上に成り立つのであれば、その理性によってすべての核を無くすことの方がなんと合理的なことか。

核抑止でしか平和を守れないというその不合理性に固執していること自体が、すでに核抑止が破綻する十分な可能性を示していると思います。

今まで何度も書いていますが、核抑止を認めるということは、広島や長崎の被爆者の前で、「私は核を使用しないとは絶対に宣言しません。いざとなったら核を使用します。それが核抑止ですから」と言い切ることです。

核抑止にはそれほど非人間的な意味があるのだと思います。核兵器禁止条約締約国が示す核廃絶に向けた勇気とイニシアチブを尊敬いたします。

台風のため今回の平和記念式典を欠席された岸田首相は、ビデオメッセージの中でやはり一言も核兵器禁止条約について触れることはありませんでした。

今回の長崎の平和記念式典で長崎市の鈴木史朗市長も、松井一實広島市長と同様に核抑止に対する危惧と核兵器禁止条約への参加を呼び掛けています。この広島、長崎からの悲痛な訴えを日本政府は真摯に受け止めてほしいと思います。


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