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特別な日。東日本大震災・原発事故から12年。

あの日、私は東京の高層ビルの30階にあるオフィスで働いていました。オフィスはちょうどこの時期海外出張者が多くいて空席も目立ち、金曜日の静かな午後を迎えていました。私自身は南国赴任を月末にひかえて、東京での業務の整理や赴任準備を行っているところでした。

大きく揺れ始めた地震はそれまで感じたことのないような揺れでした。ゆっさゆっさと長い周期での揺れ、そしてその揺れが非常に長く継続していました。

キャスター付きの椅子が大きく動いてしまい、机上のコンピューターのモニターが倒れそうになるので、足で踏ん張り、手で押さえて必死に耐えていました。窓際の人の背丈ほどある樹木の鉢植えが滑って窓を突き破るのではないかと心配でした。

オフィススペースに隣接する書庫の可動式の書架が大きく揺れてぶつかり合う音が響いていましたが、どうすることもできませんでした。

窓の外に見える工事中の高層ビル屋上のクレーンが信じられないほど揺れて振り回されているのが見えました。

揺れが収まるまで本当に長く感じました。震源地はどこなのか、被害の規模はどの程度になるのか、津波や火災が襲ってくる可能性はあるのか、そして家族のことなどが頭に浮かんでいました。

揺れがある程度収まり、窓から外を見下ろすと、沢山の人たちが道路や広場に集まっていました。

家族にはショートメッセージで比較的早く連絡が取れました。妻は買い物中、娘は学校でしたが、すぐに家に戻ったようです。家の被害状況も連絡してもらい、まずは一安心でした。

私は自分の実家、妻も妻の実家に連絡してそれぞれの無事を確認できましたが、私の兄は福島に単身赴任していたので、無事ではあったものの、家の中がぐちゃぐちゃだとの連絡がありました。また、兄の長女が神奈川に友達と旅行で出かけていて、携帯に電話しても連絡がつかないとのことでした。携帯会社によってつながり方に差があったようです。

私から姪に連絡して見ると、無事であるとの返事がきました。姪も家族と連絡が取れずに困っていたようでした。また、駅で足止めされておりいつ家に帰れるかわからないとのことでした。とにかく、兄夫婦には無事を伝えておくから、海辺には近づかないように、そして駅員の指示に従って、駅で時間がつぶせるようであればあまり動かず、駅で待機するように伝えました。

この間にもオフィスでは、テレビなどで、つぎつぎと地震による被害情報がながれてきました。窓の外、はるか遠くの方では黒煙が上がっているのが見えました。おそらく千葉県のコンビナート火災の黒煙が見えていたのではないかと思います。

電車は止まったままだとの情報でしたので、帰宅時間が近づくと、防災グッズの入ったリュックを背負い、ヘルメットをかぶって歩いて帰宅を試みるという人も出てきました。私は家族にも連絡し、オフィスは今のところ安全なので、電車が動き始めるまでオフィスに留まると連絡しました。

オフィスではその日深夜まで、南国赴任中の同僚からの問い合わせや、この日海外出張に出るはずの同僚の安否確認、南国から日本滞在中の研修生の安否確認などに追われていました。

深夜には電車も動き始めたのですが、朝までオフィスに留まることにしました。オフィスでは社員食堂からおにぎりが配られて助かりました。

翌朝、エレベーターがまだ止まったままだったので、30階から階段で1階に降りて、電車を乗り継ぎ無事帰宅することができました。

その後、月曜日・火曜日と出社しましたが、計画停電なども始まり、通勤が非常に困難になったため、数日間の自宅待機が始まりました。南国赴任日が迫る中、なかなか準備が進まず焦りましたが、結局なんとか4月1日に南国へ旅立ちました。

地震直後の週末、そして自宅待機中に見ていた福島の原発の報道は衝撃的でした。なんだか自分たちが作り出したシステムがコントロールできなくなる様子が恐ろしく、また非常に無力感を感じたのを思い出します。

そのような中でも、人命救助、事故対応に自らの危険も顧みず献身的に当たられた人がいたことに頭が下がります。そして多くの犠牲になった方々、被害を受けた方々にかける言葉がいつまでも見つからない思いでした。

原発の再稼働、稼働可能期間の延長など、いまだに原発に頼る政策が続いています。

資源エネルギー庁のページには「原発の安全を高めるための取組 ~新規制基準のポイント」などの情報も載せられていますが、事故のリスクや、被害の規模、解決していない核廃棄物処理の問題などを考えても、原発のメリットの説明はとても納得できるものではありません。

原発コストは他のエネルギーと比べて安いと説明されています (資源エネルギー庁)。

しかし原子力発電のコスト試算は、非常に甘い仮定で行われているとの指摘もあります (京都大学大学院 経済学研究科)。

私自身は上記の指摘と試算しなおした結果ですら、まだ甘いところがあるのではないかと思っています。

東日本大震災の被害者はまだまだ救い切れていなし、復興も達成しきれていないという現状を私たちは忘れてはいけないと思います。


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