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かつて日本でもパリみたいな暴動があった!乗客が大暴れした上尾事件を徹底解説【2/24は鉄道ストの日】前編

2月24日は鉄道ストの日とされています。
鉄道ストとは、鉄道員によるストライキのことです。駅員や運転士ら職員が鉄道の運行をストップさせて、会社側に賃上げなどの要求を通します。では、なぜ今日がこの鉄道ストの記念日になっているのでしょうか。

明治時代の日本初の鉄道スト

2月24日が鉄道ストの日となっているのは、1898年(明治31年)の今日、日本初の鉄道ストが実施されたからです。

当時の鉄道会社である日本鉄道会社の機関士たち400人が、待遇改善を要求して、東北本線の上野~青森間の鉄道を運休させてストライキに突入しました。これは単なる賃上げなどの改善だけでなく、職名改称による労働者の地位向上も掲げたものでした。機関方を機関手、心得を機関手心得、火夫を乗務機関生、掃除夫を機関生と改称しようとしたのです。

ストライキは3日後に終結しましたが、その後4週間にわたって団体交渉が行われ、結果、労働者側の勝利に終わりました。

国鉄ストのさなかに暴動

こうした鉄道ストはフランスなどでは頻繁に行われているようです。近年の日本の鉄道ではあまり見られませんが、昭和の時代には結構な頻度で行われていました。とくに1970年代に国鉄で行なわれていた「順法闘争」が有名で、お年を召した方のなかには覚えている方もいると思います。

この順法闘争のさなか、日本でも稀にみる出来事が起こりました。それは乗客が、順法闘争をしている国鉄の職員に対し、なんと暴動を起こしたのです。とくに埼玉県にある上尾駅では暴動が激しく、上尾事件なんて名前がついているほどの出来事でした。

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暴動と言えば、昨今のパリで行われている黄色いベストの運動が思い浮かびますが、普段おとなしく、デモなんかにも消極的と言われる日本人が暴動とは、イメージがつきませんね。いったいなぜそんな事態になったのか、詳しく見ていきましょう。

順法闘争とは

当時、国鉄の労働組合は国鉄経営陣に対し、2つの要求を行っていました。それは、
・踏切事故防止のため警報機と遮断機を全ての踏切に設置すること
・安全のため2km以上のトンネルがある区間と深夜時間帯には、運転士を2人勤務にすること


の2つでした。
この要求に対し経営側は、警報機と遮断機については善処するが、後者は無理だとつっぱねていました。しかし、それですごすごと引き下がる組合ではありません。経営陣の首を縦に振らせるために、ストライキに踏み切ったのです。

しかし、もともと国鉄の職員はストライキが許されていませんでした。公共企業体職員であった国鉄労働組合(国労)などの労働組合員は、争議行為(いわゆるストライキ)を公共企業体等労働関係法(公労法)第17条で禁じられていたのです。

これでは何もできないではないか、そう思う方もいるでしょう。組合側も考えました。
彼らは、運転安全規範などの諸規則を“厳格に”守ると、かえって列車の運行が遅れることを逆手に取り、運転安全規範などの諸規則を「遵守」することでストライキの代わりとしたのです。

つまり、安全運転するふりをしながら、なるべくゆっ~~くりと列車を走らせることで、ストライキみたいな状態に持っていく作戦に持ち込んだわけですね。とくに当時、沿線開発で乗客が増えていた高崎線でこの作戦を実行しました。これが順法闘争といわれるものです。

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