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今の主流じゃない私

私はモノが捨てられません。

確かに今の時代、断捨離とか、身軽とか、いっぱい勧めてくる。

全部捨てちまえ!とパートナーにも言われました。

でもそれを買ったのは私。

買ってイマイチだったら捨てることもあるかもしれません。
でも、買う時はすごく選んで、これがステキって思って買っている。

それを、ろくに見もせずモノがあるだけで否定されたら、私を否定されたと思い、逆に捨てられなくなってしまいました。

結果、ちょっと買いすぎた。

いま断捨離出来ないのは、この愛しい欲しかったものを使えず、依頼の仕事が入り、好きな材料で好きなストーリー、私だけの世界を作る時間が取れなくなってしまったのが一番の理由。

好きをこんなにみんな否定してくるなんて、世界中から嫌われているみたいです。(実際には、数人だと思うけど、全員に見えてしまいます)

それでも、私は私が好き。

父母が大事に育ててくれた命。
私の世界観をまるっと育ててくれた、故郷。

みんなあの頃は、私をいいね、いいね、って褒めてくれた。

大人になるまで、ほとんど私は自分を否定される経験をしないで育ってきました。

ここまで私を全員が否定する家族に囲まれても、自分が嫌いになることはありません。
自分のチョイスにも自信があるし、作ったものにも自信が持てる。

何故それを捨てろと言うのかわからず、捨てろと言われた時は警察呼びました。なのに、子供に喧嘩を見せた私、という理由で児相行き。

私は何もしてない!
私がしたのは、私のモノを捨てろって包丁持って暴れていた人がいたから、人を呼んだだけです。。

これに関しては全く謝られることもなく(もう忘れてるんじゃないのかな)児相には、私が身体を壊してた時、キャッチに襲われて怪我したのに何もしてくれなかったじゃないか、と言ったら、黙って書類をなかったことにしたようです。

私がモノを持つことは犯罪。という疑惑は、なんと消えていないのです。

だから思うのです。
モノを捨てろって簡単に言わないで。
モノを捨てるのは、私を捨てるようなもの。

望まれてもその人が忙しくて、限界を超えてしまっている時、見た目は散らかってるように見える。

私にはそのモノに精神を乗り移らせて、場所を当てるという特技があります。
さっきも、パートナーの探していた私の見たことない機械の場所をズバリ当てました。

つまりモノを捨てると、この特技のため、ボロボロになって、処分される様まで見えてしまう。

最近はモノを見ないようにして、仕事のために来るモノたちを受け付けています。

そのため、その前にやりたくて出来なかったモノがいっぱい。

なので、今度は企画や募集に乗らないようにしました。

おかげでTwitterとか見るのもきつい。孤立してるけど、私はこれ以上モノを増やせないから、参加出来ない。

モノなしで人と絡むのは、とても難しい。

特に今の業界では。

手持ちの糸でいいじゃない。
メーカーの仕組み上仕方ないのかもしれませんが、手持ち糸でもステキな作品を作って、業界盛り上げって、出来ないんでしょうか。

海外では、既に指定糸システムはもうないよ。

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ーここまで書いて思いましたが、『自分が好きな人』って、いま否定されているような気がしてきています。

自分が好きになれないひとが、大勢いるのは知っている。

でも、自分が好きな人がすることを否定してまで、自分嫌いな人が正しいと思うことを主張し、支持されている。

そうではないのでは?

自分が好きと言えるのは、幸せな環境に小さい頃偶然いることが出来ただけ。

そして、現在幸せではない環境にいても、私は私が好き。と言える。
その結果、トラブルになる。メンタルも壊れる。

自分が好き嫌いって、関係ないよね。

自信持って行動出来るかくらいの違いです。自分好きかどうかの違いって。
行動が早いか遅いか、いまの時代はそこにフォーカスし過ぎ。

遅くてもいい。
否定されても挫けないで。
メンタル崩壊しても、回復出来るって信じてるもん。
信じてなくても、回復をしたければいずれ治る。

だから、自分好きを否定しないで。
自分嫌いでも、大丈夫だよ。
どちらも、同じ。人間だもん。

まーつまり、
◯◯はダメだからこうしよう、
って言い方は人を傷つけてるからやめようね、ってこと。

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