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Teardrops rain falling

最近、あるワークに参加しています。
ある程度はわかっている事は多いものの、noteやスマホメモで打っていることが多いので、アウトプットとしては弱かったんでしょうね。

今回は紙に書くを強制されております。不安ながら、スタートして5日ほど経ちました。

楽しむために、お気に入りの万年筆を使っています。

昨日は両親への手紙を書きました。
わたしの両親は既に他界しておりますが、わだかまりは20代の時にすでに解消しておりました。今は胸を張って、両親にありがとうと言えます。
産んでくれてありがとう。出会ってくれてありがとう。母は不安だったろうけど、逃げないで頑張ってくれてありがとう。父は毎日毎日、母に愛してるって言っていました。そんな二人の子に産まれたわたしたちは、本当に幸せでした。

手芸をはじめたのも、母が道具を買って挫折してたからです。まさか挫折した道具を子供が使いだすとは思ってなかったようですが。
でも作った作品は、父がとても喜んでくれて、飾って着てくれた。「娘が編んだんだ」ってめっちゃ友達に自慢してたのだとか。

楽勝で書ききったあと、わたしは号泣していました。。

せっかく愛情を持って育ててもらったのに、なぜこうなってしまったんだ。

この1年に怒涛のように起きた出来事に対する感情がやっと追い付いた。
大切な人達を送り出し、介護も喪主もやって、わたしはこんなに愛を受け取っていたのに、愛の伝道師になれていないことが、悔しくて、

現実と心のズレに気づいてしまったのです。

いくらわたしが信念を貫いても、結果を出してもダメ。
わたしの心から、受け取った愛が放出されていない。。
道の確認をしてもダメだったのは、そういうことだったんだ。

わたしはわたしを大切に抱きしめ、号泣した。
この薄っぺらいハートでは、何も伝えられない。

その後、ある方のYouTubeを見ていた。昨日、見ている最中にいきなり大声で止められ、さらにその夜にも、ものすごく関係ない話をされて、どうしても聞くことが出来ない。これはドリームキラーだ!と思って、チャンネル登録して、色々な動画を探して、1つじっくり視聴しました。

仏教で「赦し」をどう解釈しているのか、以前から疑問だったことにこたえている動画でした。
途中から涙が止まらなくなり散々泣いて聞いていました。

確かにあの時代、もし同じことがあったらわたしの命なんてもうなかっただろう。赦さないと生きていけなかった。恨みは自分を深く傷つける。そのくらい、苦しんだ末、赦しという道を見つけたのだ。

さらに、もっと具体的にわたしの現在やっている「創作」について語っている動画も拝聴しました。

わたし自身はすでに在庫の半分を販売している。一度お迎えしてくれたお客様が2度買いしてくださる方が、とても多いです。さらに、お客様に合わせた作品も製作していて、オーダーについてルールを決め書いていたところでした。
もうここまでしていれば、充分「世の中に必要とされているクリエイター」だと。なら、もっともっと作らないといけないじゃん。
軌道に乗っているのなら、コンテストに応募などする必要はなく、むしろお客様のオーダーに力を入れるべき、と。確かにそうです。

世の中に必要とされているクリエイターは、オーダーを受けてくれる人。
オーダーを受けてくれるクリエイターは実は大変少ないです。それはわたしにもわかります。でも仕事でするなら、オーダーが出来なければ世の中に必要な人にはなれない。

わたしが作っている作品の大半が猫うさぎ犬な理由も、お客様に合わせているためです。好きにしているものでも、出来るだけなじみのある動物にしています。
個人的に取り組んでいる「アルファベットアニマル」も子供向けに親しみのある動物を取り上げ、制作しています。こちらは逆に、ふだんあまり他の方が作成していない動物を取り上げるため、新たなお客様へのアプローチになっています。

どうしても創作の話になると止まらなくなってしまうので、いったん置きます。。

赦しのほかに、手放しという課題があるのはわかってはいます。
でもわたしは、手放しが出来ません。理由はあるのですが、赦しだけで手一杯で、ハートが薄っぺらで取捨選択が出来ない状態で手放しまで行ける気がしないので、もう少し、赦しについて取り組んで、愛とわたしの役割について、しっかり自覚して胸に刻みたいと思います。

フォロワーさん、じゃない方、いつもたくさんの方に読んでいただいてとてもうれしいです。ありがとうございます。