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きょうは、休む

と言って休んでないんだけど。

今日はメルマガを読んでいる方のライブが2本もあって、1つはインスタライブなのであとで視聴出来ない。のですが、案の定聞きながら寝てた。。

最近、毎日のように自分の仕事場のモノが移動されてて、イライラが積もってすごく疲れてる。

とても悲しいことを思い出した。
父が亡くなった時に知った、叔父の死。

父の妹の旦那さんなのですが、小さい頃からよく会って話をしていた。わたしの家系はみんな厳しいのですが、穏やかな叔父はとても優しく、しゃべりやすかった。

年齢も父よりだいぶ下。墓碑に並ぶ名前を見てかなりショックだった。。

そういう悲しみを、こちらの人間は誰も共有してくれない。

ふーん、じゃないんだよ。

亡くなったのは父より半年前だった。あまりにも早すぎる死に、わたしの親戚たちは動揺していたという。わたしだって、そうだ。

父の死はある程度予測していたので、そこまででもなかったが、少なくともゼロではない。

関西帰ってきてすぐフルで元のように過ごしていたが、あまりのこちらの家族の思いやりのなさ、身勝手な人々との意識の差に疲れてしまっている。

帰る前と後のわたしは、別人だ。意識がリセットされて、自分を誇りに、大事に思うようになった。

何故心を病んだのか、わかった。

わたしは、すっかり自分を取り戻し、パラレルワールドを体感するようになった。夢ではなく、それはこちらの家族に作られてしまったクズな自分と、本来の自分とを行ったり来たりしているようなもの。

わたしをクズ扱いしているのは、こちらの家族や親族だけなので、仕事に出ているうちは、自分がクズでないことはわかっていた。

しかし仕事をやめた20年前くらいから、彼らは人を操作する頻度があがり、今回の父の死後、さらにギアを上げてきたので、パラレルワールドを行き来することにしたのだ。

わたしに帰ってくると、叔父の死を体感して悲しみがやってくる。

いずれ自分の方に意識が集中するんだろう。しかし、あと数年はここで耐えなくてはいけない。
この耐える作業だけでそうとう疲れてるのだ。

たまに休もう。今、わたしを認める人はわたしだけしかいないが、今はわたしの布教活動時期ではないのだろう。

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