ものがたりのおうちは、現実にはどこにもない
自分を好きになる心理アプローチ大全 という本を買ってみた。
心理学的アプローチでまず苦戦
第一章に「有名なものがたり」が登場し、投影することで分析するというやり方で、自分のクセを見つけようというものがありました。
実はわたし、こういう投影法が大の苦手。
ものがたりの登場人物を、人形に作ることを考えてしまって、心情より見た目や資料、時代背景ばかり考えてしまうのです。。あとは版権とか。
一章目からめげかけてますが、大丈夫でしょうか。
そもそも、この本を買った理由は「自分が何たるかを見直すため」です。ビジネスをする際、昔は必要でなかった「自己分析」をしなくてはいけなくなったため。
しかし、俯瞰で見るクセがついてしまうと、自分がよく見えないし、医師には自分を変えた方が楽だって言われてしまってるしで、人の話を聞きすぎて自分を言語化出来なくなってしまいました。
「こんなに若くない、もっと老け顔に」「声がうるさくて近所に迷惑」とか悪口ばかり言う人がいう「自分」もわたしじゃないですよね。
うるさいってそれは君の感想だし、「自分」じゃない。童顔を老け顔にしたのも、君じゃないの?
外野が常にうるさく、正常な自己分析が出来ない。過去は独身時代はバラ色だったけど、こちらに来て楽しかったのは仕事くらい。思い出したくない過去が多くなってきて、タイムトラベルも全く楽しめない。
子供の頃、何も心配しなくてよかった頃でも
ものがたりを純粋に楽しんでいたのは、小さい頃物語好きの母に読んでもらった本の数々。
当時「ディスニーランド」という月刊誌があって、それを買ってきて母は読み聞かせてくれた。
よく覚えているのは「ダンボ」かな。あの本も結局絵本と漫画の中間くらいでしたけど、空飛べたねーすごいねー、って無邪気に喜んでた。
101匹ワンちゃんあたり、当時あとで調べたら映画配給してた頃(日本の公開は数年後)だったので、時代の空気を感じてたのかな。見たことはないけど。
何故か日本の童話とかはほとんど読んだことがなく、読んだのは大半が外国のお話でした。読んで、自分をプリンセスに投影することもなく、白雪姫なら小人、アリスならチェシャ猫とか主役以外に目がいくところは、今も昔も変わっていないかもしれない。
「自分が主役」の人生が思い浮かばなかったのは、父がいう「女は脇役、一歩下がってろ」が影響してたかもしれない。もちろんそこは喧嘩しましたけど、思想としては残ってしまった。
あとは、子供時代のお芝居、いつも木とかの役ばっかりでw
自分が主役に投影出来る環境はなかったね。コメディでオッさん役やった時だけは、芸人さんが羨むほどウケたっけ。
なもんで、投影って聞いて頭抱えて撃沈。素直に主役級で育った人でないと難しくない?
その後、「なかよし」でキャンディキャンディが読みたくて母を説得して買ってもらった。
その頃からGペンで漫画を描きはじめ、物語を自分で作る。ちゃんとした話が全然作れない。そもそも自分を主人公に出来なかったからだ。
当時は人間が出てこない漫画書いてた。あとで雑誌に投稿したら、人間を入れないと読んでもらえませんよ、と言われて、なんで?と思っていました。
女の子をメインに描くようになったのは、高校になってからです。自分の進路を考えることになって、ようやく自分について考えはじめた。
つまり、ずっと他人のために動く人生を送ってきて、自分が主役になったことがほとんどなかった。
主役になったら、不幸のどん底へ
自分が幸せになるという感覚がないまま、嫁に行き、向こうの家にしたい放題にされた。この辺りで、おかしいなと考えるようになり、自我が発生する。
自分が発生したのは、自分を守るためだった。つまり、わたしを守ってくれる人がいなくなってしまったから。周りは全て敵。
子供の頃から悩んだりしていなかったため、子供時代のトラウマがない。
メンタル壊れると、質問で必ず、親との確執あるでしょ、って決めつけで来るんですが、ないんです!みんな育ち方の問題にしすぎ。うちの親に非はない!
こんなにちゃんと育ててきたのに、子供がズタボロにされてしまったのを、天国から見て父が義母につかみかかってるのでは、と心配してしまいます。。
誰か、もっと被害者を心から守ってください。法律とか理屈を超えて、守ってくれる人が、場所がほしい。
自治体とか相談の仕事の人たちは、私たちの友達には絶対なってくれません。
そのために起業を考えたようなものです。そしたら、自分を深く追求する、という苦しみに満ちた難題が出てきて、苦しんでいるのです。
ものがたりには、おうちがある。
みんなに守られてて、気づかなかった。「ここにいていいよ」は当たり前ではなかったー
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