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【ホーチミン旅行】ベトナムとカンボジアの共通文化を探しに

短いサイゴン(ホーチミン)旅行に行ってきました。昔の友人たちに親子で会い、楽しい夏の休暇を過ごしました。

そして在住時によく訪れた2つの博物館の再訪も叶い、感慨深いです。

博物館で見たかったのは、カンボジアに関する展示です。近代史だけを見ると、関係が良好とはいえないベトナムとカンボジア(参考:カンボジア・ベトナム戦争|Wikipedia)なのですが…

第三国出身の目から見るとホーチミンを含めたベトナム南部は明らかにカンボジアと共通の文化があります。

ホーチミン在住時、「ここはベトナムのイメージである "中国文化+フランス文化" と若干違うなあ」とは薄々感じていて、初めてカンボジアを訪れた際「ホーチミンにあるのはカンボジアの影響(カンボジア経由のインド系の文化)だったのか!」と眼から鱗が落ちました。

ベトナム歴史博物館 (Bảo Tàng Lịch Sử)

ここは自宅から徒歩圏だった時もあり、在住時に10回以上訪れています。当時の入場料は15,000ドン(約90円)でした。

現在では入場料30,000ドン、写真撮影OKです。一眼レフなどのカメラ持ち込みは別途料金がかかりますが、スマホのカメラは黙認のようです。

中庭より。正面の仏像コーナーは、日本の仏像を含めたアジア各国の仏像の展示があります。
サイゴン動物園側からも入れますが、こちらのNguyễn Bỉnh Khiêm通りからの入り口の方が落ち着いていて、ミュージアムカフェもあります。入場料を払わず、ミュージアムカフェのみの利用もOK(普通のローカルカフェです)

オケオ文化でクメール文字?

今までオケオと扶南の関係がよく分からなかったのですが、オケオは現在のAn Giang省(カンボジア国境に隣接)にある遺跡群の名前で、そこに「扶南王国」があったと考えられているようです(Wikipedia)。

ベトナムでもカンボジアでも古文書に「扶南」の名前は出てこないものの、当時文明が進んでいた中国の漢文資料にて、扶南王国がメコンデルタを支配していたことが記されている、とのことです。

カンボジア未経験の頃から、この博物館ではオケオ文化の展示が一番好きでした。
現在のホーチミン市のエリアは、完全にカンボジアと歴史を共有していますね。

先日お会いした友人のご主人(メコンデルタ出身)は、生まれて初めてシェムリアップに来て、「故郷の文化のルーツを知った」と感激していました。
2世紀あたりのゴールドの指輪。古クメール文字のようなものが彫られています。

扶南時代の金貨はプノンペンのロシアンマーケットで売られていたこともあった

歴史博物館のオケオ文化展示室にはには面白いデザインの金貨やビーズ、指輪があったことくらいしか覚えていなかったのですが、金貨をよく見るとプノンペンのSosoro Museumで見たものと全く同じでした。

下記のプノンペンの博物館にある金貨と同じ
プノンペンの貨幣経済博物館(Sosoro Museum)ウェブサイト

展示は扶南時代の金貨から始まるんですが、この金貨が何と2012年にトゥールトンポンのロシアンマーケットで売られていたことで発見されたそうです。ロシアンマーケット内の店で研究者とお店のおじさんが一緒に写っている写真がありました笑。この金貨が格好良くて、描かれている朝日がSosoro Museumのロゴにもなっています。

2022年 4月 Sosoro museumを訪れたときの備忘録
プノンペンのSosoro Museum内部。展示室は撮影禁止でした。

真臘(チェンラ)時代のアンザン・キエンザン省とサンボープレイクックがつながった

この部屋に入った時に目に入り、あっ!と声を出してしまったのが、サンボープレイクック遺跡で見たリンテルに非常に似たデザインのリンテルでした。

現在ではカンボジアに一番近いメコンデルタの州、アンザン省とキエンザン省で見つかったもののようです。時代はサンボープレイクックと同じ、真臘時代です。

風化している部分もありますが、基本的なデザインがサンボープレイクックと同じです。
サンボープレイクックで修復中の建物の横にあったリンテル。
ここで初めて見て、アンコール時代と全く違うデザインに驚きました。

また、この博物館に碑文があったのはなんとなく覚えているのですが、その字形や内容は、当時は全く関心ありませんでした。改めて見てみると、アンコール遺跡のものにかなり近く、感動します。

アンコール文化と近いチャンパ文化

何度となくクメール王国と戦ったベトナム中部のチャンパ王国。バイヨンのレリーフにはトンレサップ湖での決戦が描かれています。

アンコールトムの「勝利の門」が、チャンパに勝利して王宮に凱旋するための門であり、カンボジアに住むとなんとなくアンコール王朝の方が強いイメージがあります。

ですが実はチャンパは漢帝国から独立した192年からグエン朝に併合される近代(1832年)まで続いた、非常に息の長い王朝でした。

馴染み深い形。ナーガの欄干に似ています。アンコールワットにもバイヨンにも、スラスランにもこういうのありますね。
ダンサー。アンコール彫刻よりも丸っこく、4等身くらいなので親しみあります。
ガルーダとナーガも丸みを帯びて単純化されています。
ナンディも可愛い。チャンパのナンディは、プリヤ・コーのナンディより穏やかな感じがします。
プリヤ・コーのナンディ
Bò Nandinの言い方がちょっと面白い。
Bò(牛)と言ったら Phở bò(牛肉フォー)しか思いつかないので…

今ベトナムで行きたい遺跡は、チャンパのポークロンガライ遺跡です。同じチャンパのミーソン遺跡よりも南部で、ニャチャンとファンティエットの中間にあり、時代も新しいそうです(13世紀)

プリア・パリライの彫像があったカンボジアコーナー

そういえばこの博物館にはカンボジアコーナーがありました。まだアンコール遺跡に行ったことがなかった頃は、どうしてこの博物館のこの流れでカンボジアコーナーがあるのか理解できなかったのですが、今となってはよく分かります。

時代の流れを考えると、展示の順番はオケオ(扶南)→ 真臘 → アンコール → チャンパの順が良さそうですが、実際の展示室はオケオ(扶南)→  真臘 → チャンパ  → アンコール の順になっています。

ベトナムの歴史博物館なので、当然ですがベトナム中心の展示方法なのですね。南部のヒンドゥー教的文化の展示の最後にまとめとしてカンボジアのアンコール、そして次の部屋がガラッと変わって北部の李朝、という分かりやすさ優先の順番になったのでしょう。

プリヤ・パリライ(アンコールトム内)の守門神 ドヴァーラパーラ 穏やかな顔です。
ベトナム出張中なんですね。

※その後、カンボジアに戻ってからプリヤ・パリライに行きました↓


あまりに違うベトナム北部と南部の歴史文化に、そりゃ現代の生活でも色々あるわと思いました。(同じ会社でも北部出身者と南部出身者はそれぞれ別グループでランチ食べるとか…)

なんと、アンコールワットのリンテル。とんでもない完成度です。ホーチミンでじっくり見れるとは。

一つ一つの展示の解説をじっくり読んで、どこの遺跡から出土されたかを確認しました。

プノンペンの国立博物館にあった、シヴァの膝に座るウマ像も、ここにもありました。

ホーチミン市博物館 (Bảo Tàng Thành phố Hồ Chí Minh)

大聖堂や中央郵便局に近い博物館。他の観光施設に比べると地味なのですが、建物の歴史が古く、総督公邸や南ベトナムのフランス共和国長官の公式本部、首相公邸として使われ、サイゴン陥落後に博物館になりました。

入場料30,000ドン。こちらも展示品の写真撮影OKです。

この前を通って通勤してました。

130年以上の歴史ある建築物です。

ダイナミックにお掃除中です。当時の国を代表した人物が登り下りしたであろう階段。
床タイルが好きです。
来たかったのはこの部屋。「Tiền Việt Nam(ベトナムの貨幣)」

仏領時代にベトナム・カンボジア共通で使われた紙幣のデザインが興味深い

1年前に、カンボジアの首都プノンペンの貨幣経済博物館を訪れた時に「もう一度ホーチミン博物館でピアストル札を確認したい」と思いました。

展示の最後、近代のカンボジアで使われたピアストル紙幣はベトナムのホーチミン市博物館で見たものと同じでした。あの時はよく分かっていなかったのですが(何でゴニョゴニョした文字があるんだろうと思っていた)今よく見たらフランス語・ベトナム語・クメール語・ラオ語の4カ国語で表記があり、仏領インドシナで共通の貨幣が使われていたということなんですね。カンボジア独立後の紙幣はフランス語とクメール語だけになっていました。

2022年4月 プノンペン・貨幣経済博物館(Sosoro museum)を訪れたときの備忘録
おそらくカンボジアの風景(ラオスかも?)
上部には 10セントとクメール語で書いてあります

改めてこの展示をじっくり見ると、文字が 4カ国語で書かれているだけでなく、ドンもリエルも一緒くたになり、紙幣デザインのモチーフがフランスだったりカンボジアだったりベトナムだったり、無理やり 1つの紙幣にまとめている感が興味深いです。

明らかに、バイヨン遺跡
デザインはベトナムですが、文字のバリエーションがすごい。クメール語で 500リエル、ベトナム語でナムチャムドン/500ドンと書いてあります。ラオ語は読めませんが、クメール語の下に。ラオ数字とクメール数字は同じ៥០០です。中国語の伍佰元も。
ゴーギャンの絵のようなデザイン
ベトナムが独立してからもフレンチインドシナ貨幣は流通していたことが書かれています。
アンコールワット。1リエルとクメール語で左下に書いてあります。
100セントピアストル紙幣。フランス人とベトナム人?がナーガの像の上に立っている。仏領時代にフランス政府がベトナム人を官僚にして実質カンボジアを支配していた構造を想起させます。
こちら独立した後のベトナムドン。カンボジアもそうでしたが、フランスの影響がなくなった紙幣はデザインが独自であるものの、紙幣の質から苦労がみえます。

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