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【遺跡探訪88】裏からプリヤ・カーン、東半分を独り占め(Preah Khan, 1191年)

5:00に家を出て、暗い中をアンコールワット方向へ北上しました。アンコールワット環濠に着いた時には、東の空がほんのり赤く染まり、息を飲むような美しさでした。


今日はプラサットクラヴァン経由で、スラ・スランに向かいました。着いた時にはピッタリ日の出の時間でした。勘が冴えている。

雨季で雲が多く、それが水面に映って不思議な世界観です。
完全に太陽が昇った後は、スラ・スラン横でカフェラテ(5,000リエル/1.25ドル)
豆を挽いてくれます

本日のマップ

シェムリアップを5:00amに出発、アンコールワット環濠に5:30、スラ・スランには5:50頃に到着。スラ・スランのカフェでガイドブックを読みながらラテを飲んで、プリヤ・カーン東門に7:30過ぎに到着。

往路:赤線、復路:青線
東門からだと、背後にネアックポアンがあるバライ(巨大な池)があり、感動の風景に出会えます。
西門からだと遠いので、これを見逃してしまうかもしれません。

こちらバンテアイクデイの北門。アンコールマラソンのハーフとフルだとここを走りながら見ることができるんですよね。羨ましい。

改めて見るとめちゃくちゃかっこいいです。
デヴァダー、ガルーダ、四面仏、削り取られた仏像、途中までの連子窓、と、ジャヤヴァルマン7世カードがパパーンと揃った感覚です。

プリヤ・カーン東門へ

前回訪れた時は、まだ遺跡初心者でした。シェムリアップに来て2回目の遺跡訪問だったのです。ここでプリヤ・カーンの魅力に取り憑かれてしまい、再訪したいと思っていましたが、「遠い+遺跡自体が巨大」なため、その後訪れていませんでした。

その後、遺跡自体が大きい場合は分割して複数回訪れると良いということを、アンコールワットで学びました。
今回は東門から入り、前回だいぶ疲れてしまってしっかり見ることができなかった東側のみを、時間をかけて見ようと思いました!

大回りコースの道から、東門へ入る道。ここでチケットチェックがありました。駐輪場はどこ?と聞くと、東門の前までバイクや自転車で行けるとのこと。
バライは蓮の花が綺麗でした。奥にネアックポアンの島が見えます。

このバライ(池)は2011年までは水が入っておらず、干上がっていたようです。それまでは歩いて中央のネアックポアンまで行けたようですが、その後建立当時のように水を入れ、プリア・カーン側からボートで行くようになったそうです。
2022年に中央の島まで橋ができて、アクセスが良くなりました。

前回訪れた時には、ここにアグレッシブな子供のお土産やさんが多く、それも東側からの入場を敬遠していた理由でした。が、このボート乗り場と共に、お土産やさんも離れていったようです。遺跡管理の係の人が一人椅子に座っているだけでした。

東門到着  ប្រាសាទ ព្រះខ័ន(プラサット・プリヤ・カーン)

参道が続きます。アンコール遺跡の例に漏れず、プリヤ・カーンも元々は東門が正門でした。ですので、全然人はいないものの(行きも帰りも私一人でした)建立当時を想像しながら昔の正門に向かって行きました。

仏像を支える獅子、だったのですがヒンドゥー教の時代の反仏運動で上部の仏像が削り取られています。
アンコールトムと似ているが、門が3つもある
これも獅子かな?
城壁にある、ガルーダがナーガと戦っているレリーフ。この壁(4重になっているうちの一番外側)を守っているのだそうです。
他の寺院よりも仏教の影響が強そうなデヴァター
タ・プロムにちょっと似たような参道

回廊に入る前に経蔵がありました。

ガイドブック(Focusing on the Angkor Temples)にも載っておらず、本当にこのプリヤ・カーンは見どころが多いのだなと思いました。

ここで草むらをかき分けて行ったら、ちくちくした何かがヨガパンツにたくさんつきました。素足で行かない方が良さそうです。
やっとのことで東塔門へ
左側の「象の形をした巨大な木」楽しみにしてましたが、伐採後でした。
前回の投稿をよく見ると、2年前でもすでに伐採していたようです。
相当大きな木だったことがわかります。
今でも直下に支えがあるので、遺跡崩壊を憂慮しての伐採だったのでしょう。
どこをどんな風に撮ってもサマになるプリヤ・カーン
仏像という仏像は破壊された遺跡ですが、ヒンドゥー風味のある像はそのままなのですね。
東塔門の内部から
東塔門の内部から
東塔門の床に置かれていたリンテル。この時代の唐草模様の彫りの深さはかなりのものです。ちょっと風化していますが、綺麗…
意図的に削り取られたのかもしれません。
ちょうど東から日が昇ったところで、東塔門内部の柱の浮き彫りの陰影がはっきり見えました。

長い参道を通り、2つの門をくぐり、やっとのことで内部へ到着しました。
アンコール遺跡の中ではここしかない、二階建ての建物です。建立の目的はわかっていないそうです。

踊り子のテラス(The hall of dancers)

他の遺跡ではあまりないタイプのデヴァター。いや、デヴァターじゃないのかな?
装飾品が豪華です。
こんなふうにいらっしゃいます。この中に入ってもまだテラスです。
「踊り子のテラス」と呼ばれるテラスでは、アプサラが横に並んだレリーフがたくさんあります。
床に置いてあったり、梁に彫刻されていたりします。
なぜここに巨大ガルーダとナーガが、と思いましたが、ここはテラスなのでした。

現在までほとんど風化もなく、一番美しいと言われるアプサラのレリーフがこちらです。見惚れます。上部の仏像は全て剥ぎ取られています。

この中が中央祠堂のあるエリアですが、今回はここでUターンすることにしました。
中央エリアに入る門にドゥバラパーラ(門衛神)がいました。

ラテライトの祭壇

前回来た時には気づかなかった、急な傾斜の階段がありました。迷いましたが、足元に気をつけて登ってみることにしました。

高さはおそらく3mくらいです。自分だけだろうなと思ったら、すでに観光で来た人が5人くらい座っていました。

お供えの花は新しかったので、毎日お参りする人もいるようです。
祠堂の基礎だけがあり、建設されることはなかったようです。
上から見ると、このエリアの全体像が見えて面白いです。
やはりこの寺院は巨大です。タイトルには東半分と書きましたが、実際には1/3も見ていないかもしれません。
猿っぽい影が写真を撮っている私
遺跡わんこ
戻ります。この神と阿修羅の欄干の橋、そして森を抜けたところにバライがあり、気分が高揚します。本当に、このプランを考えた当時の人の感性に脱帽します。
アンコールトムと違って、頭部は一つも残っていませんでした。

バライでポルポト時代を考える

森を抜けたバライの風景。

スラ・スランとバライの美しい景色を見ながら、Rainyさんにご紹介いただいたこちらのポッドキャスト(Therapy ghostbusters)を聴いていました。ポル・ポト政権が始まったときに10歳で、タイとフィリピンの難民キャンプを経てアメリカに渡ったカンボジア人心理士が、アメリカのカンボジア系の人々のトラウマと暴力の連鎖に取り組み、コミュニティを癒しているという話です。

かなり重い話ですが、広大なバライの前に座っていると、対峙できるような気がするのです。プノンペンに住んでいたときはあまりにリアリティがありすぎて、ポルポト時代の話は必要以上に触れないでいました。今アンコールの森で、あの時代を考えています。


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