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わたしのダイアリーに近づかないで!自分を守るために日記を書く

わたしはよくダイアリーをつけます。日常生活で嬉しかったこともモヤモヤしたことも、そのときの出来事と一緒にどのような気持ちになったのか記すのです。

ただ自分を甘やかすためだけにつけているダイアリーで、わたしが大切にしたい考えというものが見えてきました。

自分の個性やユニークさを確固たるものにするために、ダイアリーの存在は大きく貢献してくれると思っています。

おしゃべりが苦手

わたしはおしゃべりが苦手です。お話しで相手に伝えるのがとてつもなく難しいと感じます。その場で考えていることを適切に言い表す言葉が瞬時に出てこなくて、「あのとき、こうやって言えばよかったな〜」って反省することもしばしば。感情を表現するのも苦手です。

さらに、気が弱いと言ってしまえばそれまでなんですが、誰かとコミュニーケションの中でわたしが非難されたと感じたり、自分が納得いかなかったりすると、笑ってごまかして、その流れを無理やり止めます。簡単に下手にでます。チョロいもの。

自分の意見を伝えるのが苦手なわたしにとって、この場で言い返すと感情的になって、「何ムキになってんの?(笑)」という状況を作り出してしまい、相手も話し合いに応じなくなるのです。

意識しているのか、無意識なのか定かではありませんが、徹底的に自分が優位でありたいとどこかで感じている人は、感情の部分に焦点を当てるっていう荒い手段を使ってまでも、論点ズラしてでも攻めてくるんです。

ある意味プライドないんですかね。見るものでしか判断できない人の想像力のなさは、反面教師にしましょう。

ダイアリーで自信を取り戻す

まあ、人のことを考えていても仕方ないもの。なので私の話に戻すと、こんな感じなのでときどき人と会ったり話たりすることがいやになる期間があります。

私は自分に甘いので、できれば厳しい外の環境に出たくないときもあるのです。好きなように考えて、自分は天才だ、センスがあると言い聞かせます。

実際は知らないけど、自分くらいしか自分を100%支持できる人はいないので、「わたしは人と違うんだ」と言い聞かせて自信を取り戻す努力をします。

そんなとき、わたしはダイアリー(日記)を書きます。毎日続けられないのでダイアリーと呼んでもいいのか微妙なところではありますが、goodなこともbadなことも客観的に可視化できるように、起こったできごととそのときわたしが何を感じたのかを記します。

自分がどう思ったのかが大切

大切なのは、起こった出来事に対して自分がどう思ったのか、何を考えたのか自己中になることです。誰もこのダイアリーに近づかないように肌身離さず近くに置いているので、わたしの考えにあれこれ言いつけてくる人はいません。

実際はイエローの表紙だけど、わたしだけの世界が広がっているこのダイアリーは、そのときどきによってカラーが変わる気がします。そして、そのダイアリーを読み返すと自分が物事を考えるときに軸となるものさしがわかってきたりします。

決して意識高いわけではないので、このダイアリーを見てPDCA回して自己成長に繋げようと思って書いていません。

自分を守るために書くのです。

goodなことは、落ち込んだときに見返して、自分の良いところを確固たるものにします。badなことは忘れるために吐き捨てるように書くとなぜいやだと感じたのか考えるので、本当に自分が大切にしたい信念のようなものが見えてきちゃったりするんです。

自分を甘やかすためにダイアリーを書く

おしゃべりで人に伝えられなかったことをダイアリーに書く分、モヤモヤや不満がよく溜まる方だと感じます。

でも、その引け目に感じることだったり、いやだなと思うことをどこかで発信して、悩んでいる誰かに寄り添えるコンテンツになるのではないか、と最近ではふんわりと手応えを感じています。

わたしは同じ年の他の子に比べたら弱くて幼稚かもしれないけど、それで生きていける世の中が理想。fancyなままで生きていたい。

だって、ダイアリーを通して向き合うわたし自身との対話は何もツラくないんです。社会に出たり他の人と交流したときにだけ、自分が悪いもののように感じるんですもん。

わたしはきっとこれからも自分を甘やかすためだけにダイアリーを書きます。自分だけの世界が広がっているこのダイアリーは、誰も近づかせないし、誰も近づけません。

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