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サラダがとりわけるのは誰?



わたしは、サラダのとりわけはしない。

自分が食べたいものをサッと取って、相手にパスする。

自分が行きたいタイミングでトイレにも立つ。

これだから、ゆとりは〜。若者は〜と言われるが、

サラダを取り分けるのが若手の役割なんて誰が決めたのか。

わたしは、サラダも何でもそうだが、自分の食べたいものを

食べたい分だけとりわけたい。

残念ながら、若いんだからと言って多くを勧めてくる上司も正直ウザい。


合コンなんかでは、サラダを取り分けるのが女子の役割だとか、

女子力がどうのこうのという男がいるようだが。

立派な偏見ではないだろうか。

それが「今時の子は難しい」だの「時代が時代だからね」というおっさんも

意味がわからない。

時代がそうなってるんじゃなくて、自分たちが生きやすいように生きているだけなのだ。

ゆとりだの、女だの、男だの、若手だの、そういうので括るのはどうか。


サラダを取り分ける役がいなくてもいいじゃない。

自分でよそえば?

こんなことを思っているので、とても生きづらさを感じる時もある。

私たちはみんな対等ではないのか。

息をしている哺乳類科の人間ではないのか。


アメリカがサラダボウルと言われるように、

社会もサラダボウルだ。

いろんな人がいて、いろんな考え方があってそれでいいんだと思う。

それを、区別したり、男だから、女だから、ゆとりだから、若いから。

なんてグループ分けを勝手にしちゃならない。

そのグループには役割がついているなんて勝手に決めつけるなと言いたい。

トマトもレタスも玉ねぎも南瓜も

すべてあって初めて「サラダボウル」として成り立つ。

それぞれに好き嫌いはあっても、それをよけることはしてはいけない。

排除してはいけない。



わたしは、「女だから」と言う理由で、仕事を降ってもらえなかったことがある。

絶対に誰にでもできる仕事だった。

直接本人(所属の部長)から聞いたわけではなく、直属の上司から言われた。

こういう理由でわたしにあの仕事をやらせないで欲しいと。


そんなことが、今でもあるのだ。


信じられるだろうか。

わたしはフェミニズムのような思想は持っていないが、流石に腹が立った。


わたしに実力がないと言ってくれれば良かったところを、

なぜ性別で言われたのかがわからなかった。

ましてや、わたしがLGBTQに当てはまっていたら?

見た目でわからない心の中まで、踏みにじる行為だということを

大人が知らないのだということを知った。

もちろん、熱心に調べて学ぼうとする人もいるだろうが、

頭がかちこちで、固定観念に縛られて生きているどうしようもない人もいるのだと痛感した。


そういう考えを持っている人ほど、「サラダを取り分けたほうがいい」なんていうもんだからね。


わたしは、ゆとり世代で気を使うこともできないダメダメ人間だ。

それでいい。

居酒屋でサラダを取り分けるのはわたしの仕事ではない。それで

企業が成長するのであればいいが、そうではない。



こんなことを思っていたが、もう今では職場の飲み会にも参加しなくなった。



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