竜血の契り ー翼よ、光を解き放て#7
マーケットで剣と衣服を調達すると、ユルクとミックは馬車に乗った。バルボ商会が用意した馬車は、商品の運搬に重きを置いているのか、荷台は広く、作りは頑丈で厚い幌がついていた。
「ユルク! こっちに来てみなよ」
荷台にいたユルクは呼びかけられて御者台の方に顔を出した。どうかしたのか、と問いかけようとしたユルクの口が、開かれたまま固まる。
「どう、これが麦の盾街道だよ」
ミックの言葉に、ユルクは「凄い」としか言えなかった。
そこにあった光景は、長く片田舎のヴァイツ村で過ごしていたユルクにとっては知らないものだった。
石畳が敷き詰められた街道は広く、馬車が二台すれ違ってもなお余裕があるほどだった。点々と街灯が直立する道の脇には、町が近いからか、行商人らしき者が屋台を広げて様々なものを売っている。中でも目立つのが工芸品や装飾品だ。町の中は整然とした風合いだったが、ここは目が痛くなるほど雑多だった。
「どうしてこんなに、ここで商売してるやつがいるんだ? 町の中のほうがやりやすそうなのに」
「彼らは『店なし商』なんだ。お店を持っていない商人が物を売るのは意外と難しい。物はあっても金はなし、金はあっても店はなし。物だけ持ってる商人が飛び込みで質屋に買ってくれ! って言っても二束三文で儲けなし、になりかねない。だからここで、持たざる商人はまず実績を詰むのさ」
へえ、と相槌を打ちながらユルクは次々目に飛び込む品物に目を奪われた。
翡翠をいくつもはめ込んだ首飾りに、光沢があり縫い目がほとんど見えない織物。複雑精緻な文様の絨毯に、きらめく銀の食器。どれもこれも値打ちがしそうなものばかりで、まるで宝物庫に迷い込んだような気にさせられる光景だった。
「高そうだな……こんな道端で、買うやつがいるのか……」
「供給過多だよ。売れずに露頭に迷う人もいる。けど、それでもここに人は集う。バージヴィンは十字路の町だからね。東は宝石、北は麦。そして西は毛織物。特に、麦を求めて人は金目のものを持ち寄る」
「麦を?」
麦、というのはユルクにとっては当たり前にあるものだった。不思議そうにするユルクをちらりと見て、ミックは笑った。
「麦はみんなが食べる無くてはならないものだからね。金銀財宝を持っていても、それが食べられるわけじゃない。人は生涯パンの奴隷だとか、そんな格言まであるぐらいだよ」
「へえ……」
「だからこそ、ヴァイツ村が滅びたのは本当に非常事態だ」
ミックの声が、暗く陰る。
「あの辺りは大穀倉地帯だ。ユルク、君は寝ていたから覚えていない……というか気づけなかっただろうけど、ヴァイツ村からバージヴィンの町までに農村が三つもある」
「三つも? 隣村のガースト村しか知らなかったけど、そんなにあるのか」
「うん。南北だけじゃなく東西にも広い。バージヴィンと北の山の裾野にある森、その間はほぼ麦畑。実際はバージヴィンから南にも結構な量の畑がある。だからこそ、王都北の街道は麦の盾……つまりは北の山の竜と飢え、二つの敵から国を守る大事な場所として扱われてきた。今まではね」
「今までは……」
ユルクはふ、と思い出した。デボラ村長が、いくら陳情の書簡を送ってもなしのつぶてだ、と言っていた。街道を巡回する兵は、ヴァイツ村まではほとんど来なくなっていた。
「気づいた? そう、ここには軍備がない。町の出入りを監視する検閲所はあるけど、街道はほとんど放置されてる。反面、人はこんなにも多い」
ミックの言葉を聞いて、ユルクは改めて周囲をじっくり見た。
目にも彩な品々に注目していたが、確かに人がかなり多い。街道沿いの商人は足元に敷布を敷いているが、それがほとんど重なり合っており、場所によっては商人同士が手を広げれば指が触れそうなほどだだった。通行人の数も、馬車の数も多い。馬車同士の間隔も狭く、しかもその間をすり抜けるように人の波が北に向かっている。今まで気にかけていなかったが、そもそも乗っている馬車の馬も、ときおり足を止めるほどの渋滞だった。
「ヒト・モノ・カネが集まってて、なおかつ警備をする人はいない。……となれば、何が起きるかはもう分かるね?」
「……あっ」
ミックが軽く、指先である商店を指し示した。ユルクが目をやると、そこには店の背後からゆっくりと近づく、小柄な影があった。物に隠れて見えにくいが、恐らく子供だろう。近づく先の店は金細工の店で、とてもではないが店のものを買えるようには見えない、薄汚れた服を着ていた。
ユルクは直感的に、何が起きるか察して馬車から降りた。
荷台から飛び出すとき、ミックが溜め息を吐いたのが聞こえたが、ユルクは気にせず人混みを避けてさっき見た子供へと向かっていった。
金細工の露店は、バージヴィンへ向かう馬車の流れがある方の路肩にあった。金細工の商人は、前を通りかかった馬車に乗っていた別の商人と、何事かをやりとりしている。子供の手が、背後から展示物を並べる棚に伸びる。
その手が金細工の燭台に触れかけたその時、ユルクの手が、子供の腕を掴んだ。
「……! な、なんだよっ」
子供は十を越えるかという程の年頃だった。商人に聞かれないためか小声で文句を言っていたが、残念ながらばっちり聞かれていた。それまで商談をしていた商人が、勢いよく振り向いて二人を見た。
「こらっ! このガキ、何してんだ!」
「うっ……!」
目を剥いて怒鳴る商人にユルクと子供は怯んだ。謝る言葉もとっさに出ずに棒立ちになっていると、
「ああ! うちの雑用が失礼しました!」
ミックが横から割って入った。「雑用?」と訝しげな顔で言う商人に、ミックはにっこり笑いかけた。
「まだ目利きもできないのだから荷運びだけしていろと言明していたのですが、どうにも目を鍛えようとそちらの品を見ようとした様子で。しかし、こうも見事な金細工を素手で触ろうとは言語道断! あとで厳しく叱っておきます。勝手に触れたお品も買い取らせて頂きますよ」
「買い取るですと? しかし……これは中々値が張るもので」
「即金で出しましょう。あ、申し遅れました。私共はバルボ商会の者です」
立て板に水のごとく喋って話の主導権を握ったミックがそう言った途端、商人は思い切り仰天した。
「ば、バルボ商会!? 本当にあのバルボ商会の……?」
「ええ、あちらの馬車に下げた印章の通り。……こらお前たち、いつまでぼーっと突っ立ってる! 頭を下げて馬車に戻りなさい」
「えっあ、うん、じゃなくてはい、すみませんでした! ほら、お前も!」
「なんでおれが……」
「いいから!」
「うー……すみません、でした……」
不貞腐れたように言う子供の後頭部をユルクは掴んで、思い切り頭を下げさせた。痛いやめろと文句を言われすねを蹴られたが、気にせず抱えるようにして少年を引っ張り、馬車に戻った。
馬車に入ると、ユルクは子供から手を離した。子供は逃げなかった。むしろふてぶてしい仕草で、その場に足を投げ出しどかりと腰を下ろした。
「お前な……」
「なんだよ、なんか文句あんのかよ」
「文句は無いけど……何であんなことしたんだ。一人か? 家は?」
「家には帰れない。おれ、奉公に出されてんだよね」
ああ、とユルクは何とも言えない声を出した。この辺り、つまりは田舎の農村では珍しくもない話だ。農家は働き手がほしいが、だからといって子供が増えすぎると養えなくなる。だから大きな街に仕事に出される。珍しくもない話だった。
「働き先に不満でもあったのか?」
「いや別に。ただ、この前の竜騒動の時に、いきなりおれのこと方ってどっか行っちゃったんだよなー。噂じゃ西のアル……ナントカって国に逃げたらしいけど」
「雇い主が夜逃げかよ……」
「なあ兄ちゃん、俺のこと雇ってくんね? あんた、あのバルボ商会の人なんだろ?」
「いや、それは」
無理だとユルクは言いたかった。何せ、自分はバルボ商会とは全く関係がないのだから。しかしどうにも即答はしがたかった。この子供はどこか似ている――ヴァイツ村で唯一、自分よりも年が下だったハンスと。そう思うと、ユルクは彼の要望を無下にはできなかった。
「……分かった。用事が終わったら、バルボさんに頼み込んで――」
「何をバルボに頼み込むって?」
「わっ! あ、さっきのえらそうな兄ちゃん!」
いつの間にか戻ってきていたミックが、半笑いで馬車の幌をめくっていた。ユルクも一緒に半笑いになって、おずおずと言う。
「あー……その、聞いてた?」
「最後の部分しか聞こえなかったよ。ま、バルボ商会は来る者を拒まない。なにせ万年人手不足だ。高給に釣られたチンピラまがいをバルボが片っ端から鍛え直そうとするせいで、みーんな逃げてくんだよ」
「えー! なんだそれ、オニグンソー!?」
「鬼軍曹って。君、どこでそんな言葉知ったの?」
「んー、なんかうちの雇い主が、バルボのことそう言ってた気がする」
子供の言葉にミックは少し首を傾げ、そして「あ、もしかして」と言った。
「君のその雑巾みたいになってる腰の灰色の絹布。汚れてるけど、アイゼンシュミットのとこの子じゃあないか」
「え、アイゼンシュミットって、あの?」
「あれ、兄ちゃんたち知ってんの?」
ユルクとミックは同時に頷き、そしてミックが口を開いた。
「アイゼンシュミットは元々この国屈指の鍛冶屋だ。武具から農具、調理器具まで造ってるから、誰だって知ってるさ。ただ、最近は良い評判を聞かない。バージヴィンの支部長が夜逃げしたってもっぱらの噂だ」
「おれ、それに巻き込まれたんだよ。朝起きたらおれだけ放置されててさ」
「うーん、あの支部長が子供一人を無一文で放置してどっか行くかな。君、なんか持たされてない?」
子供は言われて気づいたように、ズボンのポケットに手を突っ込んで、何かを出した。それは一枚の紙だった。
「いざとなったら、価値の分かる人に見せて売れとか書いてあったけどさー。そもそもこんな紙の価値ってナニ?」
広げて見せられた紙を、ユルクは覗き込んだ。そして、
「……え、ええっ!? な、なんでこんなもんがここにあるんだ!」
「え、ユルク、これ分かるの?」
「知ってるもなにも、毎日のように見てたんだ、分かるに決まってる!」
紙には何かの手順や材料らしい注釈と、そして絵が描いてあった。その絵は、ユルクが持っていた王剣バルドゥルスによく似た剣の図面だった。
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