竜血の契り ー翼よ、光を解き放て#8
「えっ……兄ちゃんこの図面の剣、毎日見てたの? この剣カッケーよな! おれにも見せてよ!」
はしゃいだ声を上げられたユルクは、ガックリと項垂れた。その剣は、今手元に無い。
「何その反応。もしかして兄ちゃん、無くしたの……?」
「売られたんだ、そこのお兄さんに!」
「いや売ったのはバルボでね、ってそれはいいんだよ! 君、なんでこんなもの……い、いや、聞いてもしょうがないか」
「うん、なんで置いてったのかなんておれ知らない」
全員が、図面を見て沈黙した。そしてしばらく各々で悩んだ後、
「……と、とりあえず、馬車動かそうか。渋滞してるとはいえ、流石にちょっとは進んだでしょ……」
「あ、すっかり忘れてた」
ミックはひらりと御者台に移った。馬車はすぐに、緩やかな振動とともに動き出す。ユルクと子供は、ミックと話すために御者台に近づく。
「あのさ、偉そうな兄ちゃん」
「そこは偉そうな、じゃなくって賢そうなって言ってほしいな……ちなみに僕の名前はミック。そこの彼はユルク。君は?」
「おれ? おれはヨハン! アプ村のヨハンだ」
「ヨハン。君は今日からこの商隊の一員だ。というわけで、君は僕たちと一緒に王都に来てもらう」
「マジで!? やった!」
小さく飛び跳ね喜ぶヨハン。一方で、ミックの横顔は浮かない。「ミック?」とユルクが呼びかけると、ミックは前を向いたまま、硬い顔で話した。
「正直、子供を連れて行くのは少し心配なんだ。今の都――王都シュテルツェンタは治安が悪化している」
「……都が?」
「ただそれでも、ヨハンにはついてきてもらいたい。謎に流出した王剣バルドゥルスとその図面。最近きな臭い王家に、竜の襲来。剣を除けば全部が同時期に起きている……どこかで何かが繋がっている。それをどうにか解き明かすことができれば、もしかしたら竜を倒せるかも……」
「……な、なんだかよくわかんねーけど。ミックの兄ちゃんは竜をやっつける気なんだ?」
「え!?」
自分で呟いたことだったのにもかかわらず、ヨハンに指摘されてミックは驚いた声を上げ、そして慌てて否定した。
「いや、違うよ、そんな無茶な。竜を個人がどうにかするなんて、そんなの馬鹿げてるよ」
「えーっ! やってみなきゃわかんないじゃん! 男は度胸だよ!」
「いや、度胸じゃどうにもできないと思うぞ、あれ」
実際に竜を見たユルクは、沈んだ表情で言う。ヨハンはふん、と鼻を鳴らして笑った。
「ユルクの兄ちゃん、ビビってんの?」
「……まあな。殺されかけたから」
「え? 殺されかけた、って」
ユルクは「馬車を頼む」とミックに言って、荷台の奥に積まれている布を被せた藁に腰を下ろした。
「どうせ都までは長いんだ。馬車で二日もかかる。その間に、俺の村であったことを話すよ」
「村であったことって……なに?」
「竜が来た。そして、滅ぼされた」
ユルクと対面するように、木箱の上にひょいと乗ったヨハンは、ユルクのその言葉に驚き、目を見開いて言葉を失った。
王都シュテルツェンタに近づくにつれ、馬車の数は少なくなっていった。ときおり幌から顔を出したり、御者台に乗ったりして外を見ていたヨハンはだんだんと、雲も無いのに降る雨を見たような顔になっていった。
「なんか、変じゃね?」
「ああ……」
尋常ではない、というのはユルクも感じていた。
……と、いうのも。
明らかに、国の中心である都に近づいているのに、周囲の光景はバージヴィン周辺よりも荒れたものになっていったのだ。
一日目の夜になる前。一行は王都手前の宿場町にて宿を取った。
そこでやたらと高い値段の宿を取ったミックに、二人は度肝を抜かれた。宿代の高さもそうだったが、宿代に比べて部屋の質がさして良くなかったからだ。
「何で!」
と異口同音に言う二人に「もう少ししたら分かるさ」とミックは硬い表情で言った。
そして、その夜更け。
騒音でユルクは目を覚ました。軋むベッドから起き上がり、剣を手に足音を忍ばせ窓際に寄る。外から聞こえる怒鳴り声に、何事かとそっとカーテンを開ける。と、そこには松明を掲げる数人の人影と、誰かに組み付かれている人の姿があった。
(ご、強盗っ? こんな町中で!?)
見過ごすことはできない、とユルクは窓を開けて身を乗り出し――
「ちょっ、ユルク待って――!」
飛び降りた直後、隣の部屋からミックの声がした。驚きも遅く、ユルクは宿の二階から飛び降りて集団の近くに着地した。松明を掲げる者たちのうち、二人ほどがさっと振り返って腰の剣に手をかけた。
「ユルクー! 取り押さえられてる人が犯人! 君は両手を上げて! 間違っても剣は抜くなよー!」
そんな中、上から声が降ってくる。ユルクは言う通りにした。――おかげでその場は事なきを得た。後からミックに、下手に動くと盗人との共犯だと思われて最悪牢屋行きだった――と言われ、ユルクは背筋が寒くなり、一晩中熟睡していたヨハンに大笑いされた。
結局、盗人は馬泥棒だった。ユルクが着地した先は宿所有の厩で、そこからバルボ商会の馬を盗もうとしていた、ということだった。
王都近郊の街ですら、そういった盗人が珍しくない環境だった。それでも南北の行き来はあったのだが、王都に近づくと、いよいよ人も馬車も少なくなった。特に、人はいない。
「人が一人で歩いていると、盗人に狙われるからね」
道行く人は、馬車に乗るか、そうでなくとも集団で動く。そうして自衛しながらでないと危険なのだ。街道警備の軍はいないのか、とユルクは問わなかった。盗人にあうより先、辺りをうろつく軍人に、通行料やら警備料やらの名目で、金をせびられたばかりだった。
「軍人があんなんでいいのかよ?」
「いいのかよー? オーボーだぜ、あんなの」
「……てか、あれ本当に軍人なのか?」
怒りと呆れの半々の感情で、口々に言う二人をなだめるように、おもむろにミックは言った。
「気持ちは分かるけど、盗賊よりはマシだよ。あと、胸元の盾を模した徽章は間違いなく軍属に配られるもの。あれは本物さ」
「……本物の軍人があんなことやってるなんて、本当に荒れてるんだな」
ユルクは少しだけ、バージヴィンでミックに言われたことを理解した。直に見聞きしたほうが――という言葉。ムカつく? と聞いて、ちょっとだけ、と答えたこと。
王都は今や、ラインマイン王国の中心ではない。大輪の花から花弁をむしるように、その栄華は欠け始めていた。
――だが、その巨大さだけは未だに健在だった。
宿場町を朝に出て、馬を走らせること半日。夜に差しかかり、夕刻に差し掛かる中、それは迫るようにして現れた。
「……な、なんだ、あれ……」
「うお……デッケー! スゲー!」
ユルクが圧倒され、ヨハンが興奮する。
それは、巨大な壁だった。
見上げるほどに高い、横幅に果てが無いようにすら見えるその長大な壁を見上げながら、ミックは言った。
「見えてきたね。あれが王都外壁。通称を、鋼の王冠」
「鋼の……? 見た目には石造りっぽく見えるぞ」
「中に鋼の芯が入ってるんだってさ。ホントかどうかはちょっと怪しいけど。ただ、あれがとてつもなく堅牢で、配備された砲もあって竜に抗する手段にはなり得る……ってのは誇張ではないだろうね」
「マジかよ、スゲーじゃん」
「うーん……ただしそれは、軍がちゃんとしてればって話だよ……」
外壁に驚嘆していた二人は、その一言で夢を砕かれたように消沈した。壁は凄いが、それを使う人間は全然凄くない。竜が来たってどうしようもないだろう、という気分に一気になった。
「夢を壊しちゃって悪いねー。けど、夢を持つのはあの壁門をくぐるまでにしといた方がいいよ。……さーて、最後に見てからどのくらい酷くなったか。見ものだね」
ミックの、軽いようで重い物言いに、ユルクは緊張を覚えぞくりとした。ヨハンも大人しく、幌の中からじっと迫りくる壁門を見上げていた。様子が変わらないのは、馬車を引く二頭の馬だけだった。
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