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竜血の契り ー翼よ、光を解き放て #12

「はじまりは……この国の興りにまで遡る。この都より北の山に鋼の鱗持つ竜の一族が、東の山にはたまの鱗を持つ竜の一族がそれぞれ棲んでいた。長きに渡り、結ばれることも、争うこともなく……しかし欲深い北の山の竜は唐突に、東の山に攻め入った。美しき珠より硬い鋼の鱗を前に、東の山の竜は苦闘を強いられたのだ。
 だがある時、一人の男が配下を伴いこの地を訪れた。背に毒矢を打ち込まれ、今にも息絶えんとしていたその男に、珠の鱗の中でも最も美しい、真珠鱗の竜姫が血を分け与えた。竜の血は癒やしを与える……生き延びた男は竜姫に恩を返すため、北の山の竜と戦うことを誓ったのだ」
「……おっちゃんそれで? なあ、竜を倒せる話とかなんかねーの?」
「ヨハン、急かすな」
 焦れるヨハンの肩に手を置き、ユルクは話を急かそうとするのを押し止める。直感ではあったが、この男の話は――どこまでが真実か定かでないとしても――重大なもののように思えてならなかった。
「竜を倒すと申したか。ならば聞け。人の身でありながら、その男は剣の一本で竜を殺した。当代の北の山の主であった、鈍鱗にびうろこのラーヒトを。何故なにゆえか? それは、男の身に流れ込んだ竜の血が、竜の生み出す金に力を与えたためにだ」
「竜の血……竜の生み出す金? もしかして、それがあれば……!」
「竜の血は王家に継がれ、竜の金は竜の炎によって鍛えられる。王が振るう剣は竜の爪にも勝るもの。それが故に、竜は人の王と契りを交わした。竜は人を助け、人は竜を助けると。だが、今や王家はそれを打ち捨て、忘れ果ててしまったのだ」
「……つまり、どうにかしてでも王家に戦わせなきゃならねーってことかよ……!」
 ユルクは歯噛みする。剣さえあれば、戦力さえあればどうにかなるかもしれない――いっそ自分があの、手に馴染んだ王剣を取って戦い、命がけで竜を討つということすら考えていた。だが、それではどにも力不足らしい。
「王子サマがどんなのか知んねーけど、じゃあぶん殴ってでもそいつを戦わせなきゃいけねーってコト?」
「ああ、そうだな。どんな手を使ってでも――」
「無駄なことよ。あれに勇など求められん。だからこそ、フリードリヒの遺児を見つけ出さねばならんのだ……」
「あんた……さっきもそう言ってたが、フリードリヒって人は失踪したんだろ? その人の子供なんて、本当にいるのか?」
「分からぬ」
「分からぬ、て……」
「だが、国王マルセル、その子息カールはもはや希望にもならん。同じ無いものに縋るならば、せめて光が強いものを求めるのが道理であろう」
「馬鹿馬鹿しいぜ。どっちにしろ無いものねだりだ。そんなことを考えるぐらいなら、別の人間が新しく契りを交わしたほうがよっぽどいい。……いっそ、俺がその役割を担いたいぐらいだ」
 軽く顔を伏せて語っていた男は、そこで視線を上向かせ、ちらとユルクを見た。
「無理なことよ。奇跡でも起きぬ限りは」
「奇跡?」
「竜の力は人に身に余る。血の癒やしはそれを抑える手法があってこそ」
「じゃ、その手法があれば……」
「それを用いれば、竜殺しの血は生まれぬ。死にかけた男を前に、死ぬならばいっそと何の施しも無い純血を分け与えた竜姫の祈りが起こした奇跡ぞ。ましてや、今の人と竜にその奇跡が起こせようはずもない」
「詰みじゃねーか、クソッ……!」
「兄ちゃん落ち着け! どうどう、どうどう」
 入れ込んで暴れる馬をなだめるように、苛立つユルクの背中をヨハンがぼすぼすと叩く。自分より年下の子供になだめられては、ユルクもぐちぐちと愚痴たれてはいられなかった。
「おっさん、俺たちはどうすりゃいい? どうやって竜と戦えばいいんだ」
「さてな……もはや未来は見えぬ。王は堕落し、竜は散った。フリードリヒだけが竜が認めた王だった。彼の者亡き後、人は人のみで、竜は竜のみで戦う時代が来たのやもしれん。故に竜を結集させねばならんのだ……野に下った竜を、求めなければ……」
「野に下った? おっさん、それっていったい――」
 ユルクが深く訪ねようとしたその時、やにわに男は立ち上がった。いきなりの動きに半歩下がったユルクの耳に「おい、そこで何してる!」と怒声が飛び込む。声は表通りの方からだった。勢いよく振り向くと、肩を怒らせ歩み寄ってくる兵士の姿が見えた。
「ヤバい、逃げるぞヨハン!」
「え!? でもおっちゃんの話――」
「いいから!」
 ユルクはヨハンの腕を掴んで身を翻し、路地の奥へと走る。その頃には、先程の怪しげな男は路地の向こうへと走り去っていた。
「あのおっちゃん足はやっ……てか何で逃げんの!」
「もう散々見てきただろ……! この国の軍人ってのは、因縁つけて金せびってくんだよ!」
「あそっか、ってうわっ」
 緩やかな曲道を駆け抜けたところで、ユルクは目についた店の中に飛び込んだ。ドアベルがカラカラと音を鳴らす。「いらっしゃい! 適当なとこに座りな!」と、この王都ではあまり耳にしなかった、威勢のいい客対応の声に出迎えられながら、ユルクとヨハンは上がった息のまま足を止め、周囲を見回した。どうやら飲食店らしい。テーブル席が二つだけあるが、席数の大半を占めるのはテーブル席だった。壁に張り出されたメニューや店全体の雰囲気が、いかにも年季の入った食堂、という感じで、王都らしくはないが、ユルクやヨハンにとってはどことなく親しみが持てる内装だった。
「……なあヨハン。なんか、色々あったけどさ」
「うん」
「飯にするか……」
「うん……」
 言い終わらないうちに、腹の虫が鳴った。街の散策をしていた時点で腹がは減っていた。しかも、男の長話に全力疾走。余計に腹は減っていた。

 ユルクとヨハンはカウンター席に腰かけた。壁のメニュー表から適当に頼んで、しばらくすると「はいお待ち!」と中年の女が注文の品を置いていく。どうやら夫婦で営んでいるらしい。カウンターの奥の方で、男がフライパンを振るっていた。
 二人は無言で食べた。朝から妙に疲れた気分だった。言葉がないぶん周囲の客の声はよく聞こえたが、漏れ聞こえる会話の内容は、竜だの王家だのとはまったく関係のない、天気だの店の売り上げだのという他愛もない話だった。

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