竜血の契り ー翼よ、光を解き放て#6
「……絶対、おかしいだろ」
バルボの部屋を後にし、ホテル・グラントバージヴィンからも出て。ホテル正面の広場で開かれていた朝市で麦粥を買った後、、ユルクが言った。
「何が?」
「何がってそんなもの、剣のことしか無いだろ!?」
勢い込んで大声を出し、ユルクは周囲の視線を集めた。朝市は人で賑わっており、麦粥の屋台の前には、適当な大きさの丸太に木の天板を乗せたテーブルが並んでいる。椅子は無い。立ち食いだった。テーブルには椀や皿が並び、あちこちから微かに湯気が立ち上り、食欲をそそる香気がくゆっている。もちろん、それを食す人の数も相応に多い。
人々が自分の食事に目を戻すのを横目で見てから、ユルクは一呼吸置いて話を続けた。
「どうして父さんが、国宝の剣なんて持ってたんだ? っていうか、そもそも何で国宝が無くなってたんだ」
「さあ……歴史書には書き残されたけど、実は紛失してたとか? うーん、考えても分からないことだし、気にしないほうがいいんじゃない?」
「気にしないでいられるかよ……」
溜め息を、麦粥で流し込む。麦の味だけは、故郷のものとさして変わらない。ただ、一緒に買った紅茶の味には慣れない。砂糖が多いらしく、やたらと甘ったるく感じる。ヴァイツ村の茶は、砂糖の代わりに蜂蜜を入れるのでかなり味が違うのだ。
「気持ちは分かるけどさ……昔のことより今のことだよ」
「今って?」
「今、っていうかちょっと先っていうか。……ユルク。君、竜に復讐する気なんじゃないの?」
「……気付いてたのか?」
ミックは持っていた木のカップに口をつけ、そして「気付いたっていうかさ……」と前置きして言う。
「君はさっきからずっと剣のことばかり気にかけてるでしょ。正確には、バルボの話を聞いてから。気が抜けてたっていうのもあるだろうけど、執着するなら肌身離さず剣を持とうとするんじゃないの」
「それは! ……そう、かもしれないけど」
その言葉に、自分は父の形見を実はそこまで気に留めていなかったのではないか、とユルクは思った。確かにそれはそうだった。真っ先に、その所在を探すべきだった――どの道売られてしまっていたとしても、だ。
「ああ、いや。遺品とか形見とか、そういうものにこだわり続けて無い方が、もちろんいいんだけどね。ただ……悪いけど、諦めたほうがいいよ」
どちらが、とはミックははっきりとは言わなかった。剣のこと、そして竜への復讐のこと。どちらもユルクの力では手が届かないもので、その自覚はユルク自身にもあった。
――あの、数分と経たずに村を瓦礫と炎と死体に塗れさせた竜の力。
いくら自分が剣術に長けていたとしても、生物としての力の差がありすぎた。思い返すだけで心が震え上がり、気持ちさえ萎縮させる強大さ。もしも今この手に、あの王剣バルドゥルスがあったとして……この広場に竜が現れたとして、戦って勝てる可能性など万に一つもないだろう。屋台と人々もろともに灰にされるのを想像し、ユルクは嫌な気分になって紅茶を飲み干した。紅茶はやはり甘ったるく、気分を爽快にするどころか、胸や腹にずんと落ちるような感覚があった。
「……と、はいえ……君はともかく、軍はなんとか戦ってくれないと。この国は終わりだよ」
「終わりって……って、あれ?」
「ん? どした?」
「ミック、そもそもどうしてこの国は……マインライン王国は、北の山に竜がいるような場所なのに滅んでないんだ?」
竜と人との力の差は圧倒的だ。そして、竜は人間よりも古い時代から存在していると言われている。それが本当なら、普通なら国を保つどころか興すことすらできないはずだった。
「この国は元々、竜に対抗できる手段があったはずで……それって、」
言葉にするうちに思い当たった。ユルクの考えを読んだように、一つ頷いたミックが言葉を継いだ。
「東の山の竜、だね。おとぎ話や伝承として伝える本が多いけど、それはこの国の史実としても扱われる」
「本当にあったことなのか?」
「一応は……ね」
ミックは少し言葉を濁した。歯切れの悪さの理由はすぐに分かった。
「史実としては、マインライン最初の王が西の地から一族と共に流れ着き、冬の寒さを凌ぐ火を竜に与えてもらう代わりに、北の山の竜を倒す協力をした……って、いう話」
「竜同士の戦いに、人が手を貸した……いや、それもなんか変だな」
ユルクは、話を聞いてミックの様子に少し納得した。確かに、史実といっても何か変な話だった。
「そ、変だよね。人は竜には勝てない。けど、何故か当時北の山で幅を利かせていた竜……鈍鱗のラヒトを倒したのは、マインライン初代王ってことになってる。しかもこの時は、王剣バルドゥルスも無かった。史文には『王が剣を竜の心臓に突き立てた』としか書いていない」
「ただの剣で竜の心臓を貫けるのか!? 人間の力で……?」
ミックは黙って首を振った。ありえない、と口に出さずとも伝わるほどの渋面だ。
「……なんというか、歴史に穴がある感じがするんだよね。僕に言わせりゃ、戦局が変わる理由がないのに、人の王がいきなり現れて盤上をひっくり返したような状況にしか見えないよ」
「初代王、超剣豪だった説は……?」
「そんな人がどうして一族郎党引き連れて、こんな山間の土地にわざわざ来るのさ。そんだけ強けりゃ、余程のおバカでも地元で一山当てられるよ」
鋭い言葉に、ユルクはうっと言葉に詰まった。
「史実にもしっかり書いてあるけど、三百年ほど前にあった戦争に負けたんだよ。実際この西には神聖アルジェペルや、東メシングみたいな古い大国がでーんと構えてるでしょ?」
ユルクは勉強不足を思い知った。流石に村の神父からの教えだけでは、史実の一から十までもを知ることはできなかったらしい。読み書きできれば充分だと思っていたが、これほど過去が気になるとは、とユルクは本を読む間も惜しんで剣を振っていたかつての自分をちょっと恨んだ。
「細かいところを言い出したらキリが無いというか、君が追いつけないからちょっと省略するけどね。初代王に限らず、この国で史実扱いにされてる竜退治の物語には、絶対なにかが隠されてるよ」
「それが分かれば、もしかしたら?」
「君が竜を倒せるかは別として。それを見つけないと話にならない……かもね。少なくとも、君が軍を動かし、軍が国を動かしてくれないと」
「……あ、そういえばそれもあったな。なあミック、そもそも何で国は動かないんだ? 一大事だろ、竜の襲来なんて」
その問いに、ミックは長く深い溜め息を吐いた。また何か無知を露呈しただろうか――と身構えるユルクに「いやごめん」とミックは言い、
「君がどうってことじゃなくて、国がちょっと……って感じで」
「……ムカつく?」
「端的に言うと……」
「何があったんだよ、ホントに」
「まあ色々。それを直に見聞きしたほうが早いから、この話は王都に着いてからにしよう。まずは身支度だ」
ミックはテーブルに置いていたカップを手に取った。中身は既に空だ。
「馬車と糧食はもう手配済み。後は、君の旅装と剣だ」
「街道を行くんだろう? 武器がいるのか」
「困ったことに、いる時はいるんだな、これが」
本当に困ったような顔で言うので、ユルクもつられて困り顔になった。ヴァイツ村のような田舎町ならまだしも、バージヴィンのような大きな町から伸びる街道すらは、本当なら町ごとに駐在する軍が巡回して守っているはずだ。なのに安全ではないかもしれない、というのはユルクにとって軽くショックだった。
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