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竜血の契り ー翼よ、光を解き放て #10

「王剣バルドゥルスの図案……!? な、何故このようなものが!?」
 口から泡を吹いて倒れそうな顔色で――あるいは口角泡を飛ばすような勢いで、ヘーガーは驚嘆する。ミックはちらりと横目でヨハンの方を一瞬見る。ヨハンはこの話し声も耳に入っていない様子で爆睡していた。
「これは――さる筋から入手したものでして。アイゼンシュミットの工房に属していた職人が残したものと思われます。これが残された経緯については不明ですが……」
「アイゼンシュミットか! 彼らの動向ならば多少は聞き及んでおる。王都の工房はまだ稼働しているが、一般向けの店舗は今は閉めているそうだ。どういった事情か預かり知らぬが、多くの勤め人が姿をくらましている。何があったのか皆目見当つかなかったが……うむ、これはもしや、本当に――」
「……何か、心当たりが?」
「宮中の下らぬ噂だがな。王が命じた離宮の建築に反対したアイゼンシュミットの職人たちは、投獄されるか逃亡したのだ、と」
 ヘーガーの言葉にユルクは首を傾げた。
「離宮の建設……? そんなものにどうして鍛冶職人が反対を?」
「漏れ聞こえる噂によると、どうにも離宮は鉄の壁や扉を揃えたものだという。口さがない女官たちの言い分だが、何でもカール王子たっての要望で己を守るための拠点を欲したのだとか。しかし……そんなものを作ったところで、竜に攻め入られれば何にもならぬ。鉄などあっという間に溶かされてしまうだろうからな」
「でしょうね……しかし、カール王子にはやはり、竜と戦う気概は無いようですね。となればもはや、勇士を募ってこの図案から作られた剣を振るう者を探さなければ」
「あ、それなら俺が、」
「悪いけどユルク、ここで『君に頼む』と即答はできないよ」
 ユルクの言葉を半ばで叩き切るようにして、ミックがすっぱりと言い切った。「何で!」と反発するユルクに諭すようにミックは言う。
「竜の強大さを君は身をもって知っただろう? およそ一人で戦うようなものじゃない。万が一、力で対抗できたとしても竜が逃げてそのあたりの村を焼いたらどうする? 向こうは空を飛べるんだ。少なくとも、自由に飛び回れないよう大砲なり大弓なりを用意して足止めしないと。大勢が連携するってなると、少なくとも剣を持つ人間は日頃からそういう訓練してる軍属から選ばないと」
「そ、そりゃそう……だろうけど……」
「まあ、まあ。ミック殿、やる気がある戦士がいることは良いことだ。いざというときには彼も戦力になってもらおうではないか。……それにしても、随分とお詳しい。従軍の経験が?」
「え? あー……いや、そういうわけじゃ……ほら、本の虫なものでして。兵法書とかも無節操に読んでいたものですから。そんなことより、竜への対処です。戦力を集めると言っても、どれほど集められますかね?」
 その問いは疑問というよりも、悪い意味での確信を持って投げかけられた確認だった。ヘーガーの顔は途端に曇り、吐き出された声も重苦しいものだった。
「残念ながら、相当数を集めるのはかなり難しいだろうな」
「やはり、ですか」
「やはりって……何故ですか? 竜の襲来なんて緊急事態じゃないですか!」
「そうだ。しかしここ数年で騎士団……いや、我が国の軍はとかく質が悪くなった。兵力増強の名のものとにごろつき崩れが雇われ、新設された王家親衛隊は王子の太鼓持ちときた! それでいて装備の質は悪くなる一方なのだ」
 ユルクには何が何だかよく分からない話だった。ともかく理解の及ばない世界だったが、しかし、それでも『今の軍人はろくに竜と戦えないだろう』ということだけは、ヘーガーの口ぶりから伝わった。その上で、
「ヘーガー将軍。では、昔から騎士団に所属していた方々は?」
 そう尋ねた。軍が変わる前――というより、騎士団が王国軍と名を変える前の、文字通り変質する前の騎士団に属していた者ならば、多少年かさであっても戦えるのではないか、と。だがヘーガーはまたもや首を横に振った。
「そちらもろくに動かせぬ。元より我ら元騎士団員は、現王家、特に王子から煙たがられるようになり、僻地の閑職に追いやられておる有様だ」
「……失礼な物言いになりますが、それはむしろ暇を持て余しているということになるのでは? ならば将軍が檄を飛ばされれば、どうにか招集できるのではないでしょうか」
「いざとなれば……可能だ。しかし、どのような理由があれ、表立って大きく動けばそれすなわち王家への背信――謀反、と取られることだろう」
「な……なんですか、それ。いくらなんでも無茶苦茶だ……!」
「これがこの国の現状なのだ。王家はもはや旧来の騎士たちを、邪魔なお目付け役程度にしか思っておらぬ……何か少しでも口実があれば、すぐにでも要職から追放し、官位や爵位を剥奪しようとする。……このままでは竜の強欲によってではなく、人の強欲によってこの国は滅びるやもしれぬな……」
 ユルクはやり場の無い怒りを感じた。今ここで、声を大にして口汚く文句を言いたくなった。だが、ヘーガーに言ったところでどうしようもないことだ。それでも、腹の底には熱さとも、冷たさとも言えるような不快な感覚がわだかまった。
「……城の中に、他に頼れる方はいらっしゃらないのでしょうか? 具体的には、王家の血筋の人間は? 伝承によれば、竜を倒したのは必ず王家の人間だった。興国譚においても、百二十年前の人竜戦争においても。もし王家に竜を打倒する何かがあるのなら……」
「残念ながら。王兄殿下がご存命であったならば……いや、こればかりは私の言えた義理では無いことだな……」
「オウケイ……殿下? 今の王様の兄ってことですか?」
「ああ、ユルクは知らないのか。まあ無理もないね。二十年前の王位争いは、今じゃ口に出すのもご法度だろうし。そもそも王都の話なんて、細かいところは地方に伝播しないからね」
「……何かヤバいことでもあったのか?」
「ヤバいっていうか、シンプルに王位争いだよ? フリードリヒ殿下は二十年前に王都を追われて失踪。先王の覚えが良かったマルセルが王位に就いたってわけ。フリードリヒ殿下はまあ、人気も実力もはあったらしいけど……先王の兄上殿に似ていたせいかな? 疎まれて奸計に陥れられ、追い落とされた……って噂。噂だからまあ、このへんは話半分に聞いといて。
 ここで重要なのは、遺体も見つかっていないけど生きた姿も目撃されてないってこと。どっちにしろあてにはならないよ」
 ますますもってユルクは、今の王がどうして王をやっているのか疑問に思えてきた。誰かが殴ってでも止めなかったのだろうかとも思ったが、それをやると国をひっくり返すようなことになるので、誰もできなかったのだろう。そして、どちらにしろそんなことは、今のユルクには関係のない話だった。重要なのは――
「つまり、ともかく王家のせいでどうにもならないってこと……ですか」
「……身も蓋もないことを言うならば、そうだな」
 苦渋も極まれリ、というほど顔をしかめてヘーガーは言った。ふー、と長い溜息をミックが吐く。その視線は宙をさまよってはいたものの、次に吐き出された言葉は、しっかりとしたものだった。
「どうにもならないのなら、どうにかするしかないですね」
「なるのか? どうにか……」
「うーん、無理そう」
 ミックの端的かつ投げやりな言い様に、ユルクとヘーガーは同時にがくりと肩を落とした。それを尻目にミックは淡々と話を続ける。
「だけど、無理にでもやるしかない。最低でも竜に対抗するための軍の動員の民の避難あたりの指示を引き出させる。ヘーガー将軍。そのためには、あなたに苦杯を嘗めていただくことになりますが、よろしいですか?」
「ここまで来て良くないなどと言うつもりもない。この行き詰まった現状を打破し、国難と戦う礎となれるのであれば何なりと申し付けられよ」
「俺も、できるだけのことはやるよ。って、俺にできることがあるかは分からないけど……」
「ユルク、大丈夫だ。もちろん君にも動いてもらうよ。手持ち無沙汰になんかさせないさ……まあ、楽しい作戦にはならないから、色々堪えてもらうことになるけど、ね」
 そう言って、ミックは気を引き締めるように己の膝を叩いてから立ち上がった。
「将軍。あなたにはお膳立てをしてもらいますよ。僕たちは王子に会います。……秘密裏にね」

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