見出し画像

私の原体験を綴ってみた。

「時には立ち止まってもいい。休んでいい。でもいつも全力疾走の中だからこそ、自分を見失わないように、自分の軸だけはしっかり認識できていたらいいよね

つい先日代表からもらった、このメッセージがずっと頭の中を巡っていて。

改めて私の軸とは何か、私はどうしていきたいのか、まだきっと気づけていない部分もあるけれど、今日は、今の私の価値観を形成した原体験を綴ってみることに。

思い起こせば3つの原体験がありました。

1、身近にあった「バリキャリ母」の存在

私が物心つく前から "バリキャリ" で働いていた母。

どれくらいの "バリキャリさ" だったかというと、朝3時に家を出て夜中0時を回ってから帰ってくる、お昼は食べる時間がないからピュレグミ、あまりの忙しさに1分前にした娘との会話を忘れ大喧嘩、というぶっ飛びさ。笑

(社会人になった今、自分自身のことだけでも精一杯な私は、フル稼働で働きながら子育てもしていた母に尊敬の念しかありません・・・・。)

そんな生活の中で、母や父が帰ってくるまでベビーシッターさん(でいいのかな?)に弟と共に預けられていた当時の私は、「寂しい」「なんで私との話を覚えてないの!?」なんて感情と、

それでも保護者会には必ず来てくれ、「ななちゃんのお母さんかっこいい」と周りから言われることに鼻高々。子どもながらに「自分のやりたいことをやっている母はかっちょいい!」そんな感情も抱いていて。

そして年齢を重ねるにつれ、ちらほらわかってくることも。

母には「旦那さんと同じ、もしくはそれ以上に稼がないと、夫婦間の対等が保てない」というバリキャリ祖母の教えがあったこと。「子どもたちが幼少期にずっと一緒にいられたわけじゃない」という負い目があること。働くこと自体を悩んだ時期があったこと。

私の中では「自分の好きを貫いているかっこいい女性」だと思っていた母にも、いろんな葛藤と悩みがあった。

世の中には働き続けたいと思いながらも思い通りに働けない女性や、母になっても働き続けていることで子どもに負い目を感じる女性、夫婦間のバランスや職場の理解に悩みを持つ女性。

正解も不正解もない。全ての人が毎日はじめての人生を生きているからこそ、「自分がやりたいことを選択しやすい世の中」や「女性のキャリア」に目を向けはじめるきっかけが目覚めたのは、ここからだったように思う。

2、「同性愛」を告白してくれた友人との出会い

中学生の時初めてした、同性の友人に告白をされるという経験。

その時私が一番驚いたのは、彼女が "勇気を持って" 同性愛を告白してくれたこと、で。

小学生の頃から「男子・女子」というカテゴライズが好きではなく、異性と仲良く話していると、すぐ色恋沙汰にしようとするクラスメイトに違和感があった私。

「男子・女子という以前に人間でしょ。私は一人の人間として、あの人と喋りたいから喋るだけ。それ以上でもそれ以下でもない」と我が道を貫いていた私は、友人の好きであるという告白よりも「同性愛をしてしまった」という告白に躊躇していることに驚いたのだと、今は合点がいく。

そして「性別の前に人間でしょ」という感覚をなぜ私が持っていたのかは、その後、結構早くに、家でテレビを見ていた時に気がつく。

当時はまだ同性愛について広く一般的に認知や理解が進んでいない中でやっていた、同性愛者を取り上げたテレビ番組だった。たまたまつけていたテレビから流れただけなのだが「これは個性だよね」と、テレビに映る同性愛者の方をなんの抵抗もなく、ありのままで受け入れる母を目の当たりにした。

「男の子なんだから」「女の子なんだから」と周りの大人たちが騒ぐ中、「私は私」「あなたはあなた」「その子はその子」と常に目の前の個人と向き合う母がかっこよかったし、(当時は多分感覚でしかなかったが)直感的に母のような価値観で生きたいと思ったことを覚えてる。

3、「ビックイシュー」の存在を知り、仕組みに衝撃を受ける

生まれも育ちも千葉県浦安市の私。

浦安市の中でも埋立地で育った私は、常に新しいマンション、新しい商業施設、新しい学校・公園・病院・郵便局、、、とにかく「新しい」ものたちに囲まれて育ってきた。

東京にも電車1本で出れる距離感。東京の街を歩き回ることも多かったのだが、中学生の時はじめて "公園の中のダンボールで寝ている人たち" に出会った。

子どもながらに、その人たちのことを両親に直接聞くことができず、帰宅後、覚えたてのYahoo!キッズで検索をした。そして知った、ホームレスという言葉。

とはいえ、何かができるわけでもない。頭の中にその言葉を置いたまま、数年が過ぎさり、私が高校生になった頃。

たまたま母の机に置かれていた「ビックイシュー」という本が目に止まり、中を開いてみると、ホームレスの自立支援をしている雑誌であることを知り、衝撃を受けた。

ボランティアではない、自立ができる形で支援をするその仕組みに感動だった。一人一人ができることは少ないが、大学生になり、大学の最寄駅でビックイシューを販売している方から、毎月直接雑誌を購入するようになっていた。

ビジネスで疲弊しない・継続する仕組みをつくる、誰かへの純粋な支援だけではなく自立も目指す、そんな無理のない継続性がある形に意識を向けたのはこの経験が始まりだったと思う。


考えてみると、いつだって大きく母の影響を受けている私。あまりの偉大さに学生時のインターン先で「母=スーパーマン」として記事を書いたくらい。笑

ずっと女性として自由に、生きたいように、自分の意思を貫いて、進んでいる母がかっこいいと思ってた私ですが、今こうして書き記すと、きっと昔から(自分自身を含む)目の前の個人とその個性を大事に、尊重してきた、母の姿が輝いて見えていたのかなと思いはじめています。

今でもそんな母が私の憧れであり、尊敬する一人の人。

少しずつでも、そんな母みたいな人に近づけていたらいいな。

この記事が参加している募集

多様性を考える

私は私のここがすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?