見出し画像

繊細に、しなやかに。今日もnoteを書く。

私がnoteと出会ったのは2020年。ライター1年目の9月。ライター講座のコミュニティがきっかけだった。Twitterで自分から発信することの重要性を知って、Twitterを見るようになって、noteも知ったという流れだったと思う。

しかし、noteはとても使いやすい。

このnoteでは、私が感じたポジティブもネガティブも、それぞれが活きるように記事にしたいと思って書いてきた。基本的にはポジティブで、前向きに生きているけれど、自分の中の感情を言語化することで、その気持ちを活かすことができるかもしれないと思う。

これはネタという意味よりも、存在することに意味がある場所で活かされたらと思う。

(なんだか回りくどくなってしまったけれど、)
ポジティブでもネガティブでも、同じ気持ちでいる人がいたら、同じ気持ちになった人がいるこということを伝えて、共感できる場所、支えになりたいと思う。

だから、とにかくそのときの気持ちを深掘りする。どういう気持ちだったのかを言語化することに努める。気持ちを凝縮するように書く。

そのとき、そのシチュエーションでしか感じられなかったことを残しておけるような気がして、そのnoteを読み返すと、強さが沸いてくるような感覚になる。

私がnoteに書いているときには、気持ちを消化して、または昇華しているときなので、心配しないで読んでいただきたい。嬉しい気持ち、感動、悲しい気持ち、絶望、いろんな気持ちを登り切って、このnoteにたどり着いている。

どんな自分も自分だけど、自分らしくて好きな自分はいる。正確に判断しようと思ったら、自分はこうだと言えなくなってしまうから、だれからどう見られたとしても、最終的には自分の好きな自分でいられたらと思う。

私は誰かの繊細な部分を感じ取るのが得意なのだけど、おそらく受け流すのも得意だと思う。先日「大愚道場」に参加した中でお話のあった「入ってくる情報に振り回されにくい状態」を保てているのだと思う。

今私の中に浮かんできたのは、川の流れの中にある水草のようなイメージ。上流で水の流れが速くて、影響されているようで、でも上手く受け流してそこにとどまっている。細い葉は繊細に、でもしなやかに。

いろんなことを感じ取れるいわゆる「繊細な部分」は持っていたいけど、必要以上に振り回されない。誰だって、一番大切にするべきなのは自分なのだ。

現代社会では、どうしてもさまざまな情報が入ってくる。デジタルデトックスにも限界があるし、進化する毎日を受け入れるしかない。だからこそ情報が入ってきても影響を受けにくい状態をつくる。自分を知って自分に合う方法で、生きやすい方法を見つけること。そのためにも、今日もnoteを書く。

noteが導いてくれる、あなたの未来があるかもしれません。
まだ書いたことがなくても、最近更新頻度が下がっていても、今日からnote  習慣をスタートさせてみませんか?




ここまで読んでいだだき、ありがとうございました!もっとすてきな記事をお届けできるように、頑張ります!