信じることは、不確かなこと。
誰かの批判をするのは簡単で(だったら自分でやってみたら?)と思う。
せっかく生きているなら、もっと自分のためになることに時間を使ったらいいのにとも思う。(そして、そんなコメントを見てしまう時間ももっと有効に使うべきだったと反省している。)
何かを発信したり、何かを作り上げたりする人のもとには人が集まり、支持者、広い意味でフォロワーになる。ただ、その行動がひとつでも自分の意に沿わないものだった場合に、失望して反感をもってしまう。
アンチは「自分の考えに気づいてほしい」という思いのなれの果てとも言える。
少し前に話題になった芦田愛菜さんの言葉。本当にその通りだと思った。
私はもう10年以上前の会社の研修で言われたことが今でも記憶に残っていて「過去と他人は変えられない、変えられるのは自分と未来だけ」と、何かあるごとに考えて進んできた。
自分が変えられるのは自分だけ。そして変わった自分が行動する未来だけ。
他人も過去も変えられないのだから、自分の軸を持つことに注力して、余裕を持って受けとめられるようにしたい。
きっと芦田愛菜さんの言葉は、いろんな意味に捉えられるし、何度読んでくみ取ろうとしても、言葉の真意は憶測になってしまう。
でも私なりの考え方と共鳴するように捉えられる部分があって、とても心強い。
年齢や生き方にとらわれず、尊敬する気持ちや理想に思う気持ちは大切に、忘れずにいたい。
信じることは美しくもあり、不確かなものの証明でもある。だから自分が信じたことを信じ続けられるくらいの軸をもっていたい。
もし信じられなくなったら、自分にはもう確かになったものなのかもしれない。
そうなったら、黙って去る。
無駄に争わず、冷静に。
自分の時間を生きていこう。
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