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指針


自分が求める指針や行動がうまくいかない時、そして行動が全体的に齟齬がうまれてしまったときに考えるのは、やはり謝罪したうえで終わった話になったら次どう改善するかだけだとおもう。

それは違う自分がいたりしてもそこに自分という肉体が存在し、社会に存在しているのならば当たり前の話だ。

相手を傷つけると遠慮をし、誰かに相談するとそれは相談としてではなく悪口としてとらえられる場合もある。

疑問や悪意がないのであれば誰かを介してではなく話してみるというのは必要だと感じますね。

しこりが残ったあとはうまく話せませんから。

人間として考えうる言葉や感情に関してはきちんと話せれることがあるのなら話す方が好ましい。

俺はそう学びましたね。

少なくとも誰がではなく同じ顔で発した言葉の主が自分と認識されるのなればそれは自分なのです。

過去に起こし迷惑をかけたならばまた次ないようにどんな存在になろうとも誓えばいい。


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