ポリコレはどこまで配慮するべきなのか
私はゲーム好きなので、よくゲームレビューや炎上などを取り扱った動画を好んで視聴します。
その中でも、キャベツの人という方は、特に昨今の過激なポリコレ配慮を見る度にうんざりしているというのが伝わる動画を発信しております。
さて、そうなると我々はポリコレというものをどこまで配慮するべきなのでしょうか。
ポリコレは、LGBTQ+や人種差別などマイノリティと呼ばれた人たちをめぐる問題であり、とりわけ欧州・米国圏において争点となっている問題です。
私が大学生の頃、イスラエルの方からあるDMが届きました。
私は当時、コスプレ活動などをやっていたのですが、「幼女戦記」のコスプレをし、それをXで発信した際、
というわけのわからないメッセージが届きました。Google翻訳するとめちゃくちゃ温厚に見えますが、かなり断定口調で言われたことを覚えています。
何が問題になったのかといえば、画像のものなんですが・・・。
要するに、「十」の部分がナチスを象徴しているとその人は言いたかったんでしょう。
ただこれ、ドイツ国防軍の正式なマークなので配慮も何もないんですよね。
それ言うなら「原作者に言ってくれ」と、「欧米でもこのコスプレしてる人間は五万といる」と、「逆にどうして日本人である私に、わざわざそれを言うんですか?差別ですか?」と、怒涛の公開リプライを発信しました。
そうしますと、フォロワーの日本、アメリカ、フランス、フィンランド、韓国の人たちから
「まあ、さすがにこのDMはない」
「ナチスは破壊と混沌だけではなくて、ポルシェって偉大な発明をしたんだが」
「ドイツ国防軍の正式なシンボルに唾を吐くとか、ドイツ人に失礼じゃないか?」
「そもそもドイツ国防軍とナチスは切り分けるべきだろ」
「お前はにわかか?ハーケンクロイツって知ってる?」
「あなたは原作を読むべきです、そこにはファンタジックな要素に戦争の悲惨さやシカゴ学派の屑さが垣間見えます」
「むしろ、ユダヤ人的思考で戦争をやってるんだよな」
「リメンバーパレスチナ」
など、めちゃくちゃ擁護してくれました。正直、うれしかったです。
最終的に、ブロックされて逃亡しましたが、「これがポリコレか」と、周囲に残るのは焦土と青空教室しかないのだと思い知らされた一件でした。
ただなんですが、この一件で私がイスラエル人とかユダヤ人を嫌悪するかといえば、そうではないですよね。
この人個人の問題であって、しかも、いちゃもんなわけですから、制裁は受けてるんですよ。
私たちが、ポリコレという界隈の人たちを考えるときに、この思いが一つの基準になるのかなと思いました。
たとえば、「日本の漫画、ゲーム、アニメにはアフリカ系が登場しない」といういちゃもんですね。
いますけど、何か?
スプラトゥーンの時に出てきたポリコレに、これは黒人ではない!という批判がありました。何でも、「白みがかった黒」とか、「髪の毛の色がカラフルすぎる」とか、「日本は大和民族しか信じてないからこんなことができる」とか、まともじゃない批判が多くを占めてまして、
あのね。
あなたたちのいう多様性ですよ、それは、と。
日本人は、髪の色で人を差別しない。
「遊んでるね」って金髪に染めてる人を見てそんなこと言ってるおっさんとか、おばはんがいたら、今はネットに晒されますよと。
「白みがかった黒だから黒人じゃない」とか、完全に白人と黒人の間に生まれた子どもとか差別してそうな人間の発言ですよね?
しかも、作品の多くは「日本」かそれに類する場所を舞台にしていて、日本では市場が一国に集中しているんですよね。それで、中国や韓国やアメリカに配慮しても、利益が見込めるかという問題があります。
これは正直見込めると思います。見込めるとは思いますが、別段、無理やり登場させるというのには違和感があります。
第一、「日本の一つの民族論批判」って正直なところ、いやあなたたちも大概ですよと。
唯一神信じてる時点で、仏教とか、多神教を信仰してる国と地域を差別してるわけじゃないですか?
それと、普通に「日本人が一個の民族で多様性がない」って、要するに「民族数で物事を判断してるその思考自体が、もはや多様性とかけ離れてますよね?」と言いたいですね。
あともう一つは、海外受けする作品って、基本的には鬼滅の刃とか、ワンピースとか、僕のヒーローアカデミアとか、ドラゴンボールって、基本的に黄色人種圏なんですよね。しかも、ワンピースのほとんども有色人種圏のエピソードなので、はっきり言って、ポリコレには最低限の配慮がされてるはずなんですよ。
もう一つは、ゲーム内に登場するキャラクターが白人しかいないという点ですが、そもそも日本人向けに作る以上、この作品に描かれてる多くのキャラが白人かって言われると、私は微妙なんですね。
たとえば、FFの世界観って基本的に色々な人種がいるのはわかるんですが、私はイケメンやかわいい日本人の女性が、演じてるって考えてるんですね。たとえば、ティファとか、ユウナとか、ライトニングさんって、どう見ても日本人的なキャラなんですよ。
なのに、FFに有色人種がいないって言ってる人たちは、日本人舐めてますよね?という話です。
つまり、この手のポリコレの方々って、イエローウォッシングは容認しないけど、勝手に白人と決めつけてホワイトウォッシュして、ブラックウォッシュしろって言ってる。
矛盾していませんか?という話です。
ハリウッドで描かれるステレオタイプ的な日本人は、では侮辱にならないのですか?
私は好きですがね。
たとえば、ポリコレ炎上した「ブレット・トレイン」という映画があります。
これは、かなり私的にはOKな作品なんですが、日本人が書いた作品を、白人が主役で、日本人が真田広之くらいしかでないのはホワイトウォッシュだって言ってるわけなんですね。
でもね、私は声を大にして言いたい。
キャラはどうでも良い、新幹線や駅や環境をもっとポリコレしてくれ。
そう思うんですよね。
この作品、新幹線の描写がどう考えても「アムトラック(アメリカ大手の鉄道会社)」なんですよ。
新幹線じゃない。
駅も、ファンタジー。
京都が終点。
アホかと。
デビット・リーチ監督は日本に来たことがないのかと。
アホかと。
この手のツッコミがないんですよ、ポリコレは。
演出やシナリオ、キャラは、伊坂幸太郎臭さが出てて、「よくわかってるな」って思ったんですよね。
でも、「環境」描写は、日本人、もっと怒って良いと思う。
「アメリカ人は何もわかってない」と。
サム・ライミの「ウルヴァリンサムライ」から何の進歩もないと。
どうしてこういうことが起こるのか?
ポリコレは「キャラ」しか批判しておらず、「ストーリー」や「背景」に言及しないからです。
これはどういうことなのか?
アメリカでは、「ストーリー」を構築させず、「人」を構築するクリエイターしか育ててないからです。
そのため、創造性のあるような高品質なストーリーを構築できていない。
はっきり言うと、日本や韓国、イギリス、ロシア以上に、アメリカのストーリー構築は衰退してきています。
理解できます。
アメリカは、小説でも、映画でも、何を重視するかといえば「環境」ではなく「人」を重視するからです。
つまり、アメリカ人は「人」の掘り下げを行おうとします。それは、リアリズムな等身大の「人」です。
よく、オスカーを見ていると、ライターや監督は自分自身のバックボーンをストーリー構築の参考にしている節があります。
私は、毎年オスカーだけはチェックしていたのですが、明らかにリアリズム思考です。
つまり、架空のキャラクターを作れないという問題があります。
ハリウッドが「環境」を重視していた映画は、例えばスターウォーズやクラッシュや羊たちの沈黙やアバターなどです。
キャラクター以上に、世界観の構築に長けていたのが「かつてのハリウッド」でした。
しかし、日本人の場合は、鉄腕アトムに始まり、ゴジラ、ドラえもん、クレヨンしんちゃん、サザエさんなどクリーチャーや架空キャラの量産を、昭和時代から、やり続けてきました。つまり、キャラクターを第一に考えていたわけであります。
しかし、日本人が描く世界観やストーリー、いわゆる「環境」は非常にリアリズムな思想がちりばめられています。
ゴジラ世界の環境は「核」であったり、ドラえもん世界の環境は「未来・SF」と「人間とロボの友情」です。
鬼滅の刃は「鬼と人間の対立、過去や時代による葛藤」、宮崎駿とスタジオシジブリは「宮崎駿の戦争観や経験」がちりばめられています。
そうなんです。
日本人は「環境」でポリコレ要素を満たすという需要があります。だからこそ、「ストーリーを見てくれ」とポリコレに訴えているわけです。
なぜ日本人が「環境」を重視するのかは、よくわかります。
日本は「外圧」の国です。
中国やロシア、アメリカという驚異に晒され、東南アジア地域は利権の温床です。
歴史的に、元寇・黒船・二度の世界大戦など、常に外部からの圧力にさらされ続けてきました。
日本は「環境」をうかがうことに注力してきた人々の末裔だと言っても過言ではないと思います。
たとえば「空気を読め」という言葉も、これは人に対するものではなくて、「環境」に対する不安や恐怖によって生み出される言葉です。
日本人は、度重なる外圧と戦争によって傷ついてきた一個の民族です。
そのため、ストーリーや世界観を構築することで、我々なりに「政治的に何が正しいのか」を訴えてきたのです。
しかし、ポリコレはそれを無視し続け、「ガワだけ整っていればそれでよい」という圧力をかけてきます。
ただ、これは逆に成功なんですよね。
ポリコレ配慮してるけど、ポリコレに見えないでしょ、日本のコンテンツは?
そう、これが「ストーリーを創造・構築するということ」なんです。
では、ポリコレにどこまで配慮するべきなのか?
日本は、ストーリーとキャラクターで十分配慮しています。
これ以上無理です。
そういうマインドをクリエイターたちが持つことが重要です。
自分の訴えたい世界観、ストーリーとは何か。
「楽しい」がマインドでもいいんですよ。
現実逃避するために映画や漫画見たいのに、何で現実を見せられなければならないの?
なりたい自分になりに来ているのに、逆になりたい範囲狭めようとするって何なん?
以上です。
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