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「転職に“自分がやりたいこと”は必要ない説 もっと幸せに働きてぇなぁ仕事論」

転職の際に必要なもの。
スキルに人脈に、実績に諸々がある。

が、必要ないものがある。それは

自分のやりたいことである。

これは二つの意味で必要ない。
転職する先、会社側にとって、と、自分にとって、である。

いや、あってもいいんだけど、特に必要ないということを伝えたい。

あ。一応関連ある記事として↓を置いておきます。

会社にとって「個人のやりたいこと」は必要ない

会社という法人格、組織には目的がある。なので、人材はその目的を達成する為に必要か否か、ということが採用の有無を左右する。

で、転職の場合はとくにその傾向が顕著。
新卒採用や第二新卒、20代くらいは、ポテンシャル採用として、
「なんかやってくれるだろう」的な採用があると思うが、通常の中途採用の場合はもはやそういう部分は過ぎ去っているので、「なにを任せたいか」「なにをやってほしいか」がふつうは明確なので、それにマッチするかどうか、が重要である。

たとえばすげぇ単純に 営業をする人、営業マンが必要だとして、新卒とかは「うーん、営業とか苦手そうだけど、経験でやってもらおう」とか「とりあえず、やってみたらハマるかも」的に考えるけど、中途で即戦力的なことを求めている場合、営業的なスキルや経験を持っている人が優遇されるし、ぱっと見で営業的に不向きそうだと、「うーん」となっちまうのは自明の理。

さらにここから、営業と知っても、普通の営業マンが欲しいのか、組織を立て直すためなのか、組織の傾向を変えたいのか、社風とか商材があっているのか、とかそこが合いそうか、が見られる。

いや、ふつう当たり前じゃん、と思うかもしれないが、個人でいうと、なによりも「自分のやりたいこと」とか「自分の熱意」が、なによりも大切だし、大切にして欲しい、とおもってしまう。

が、会社にとってそこはとくに必要ではなく、会社にとっての需要をその人が満たすことができるかどうか、が大切なのだ。

なので、正直に言えば、なにもやりたいことがなかったとしても、需要を満たす供給者であり、供給者だったら、会社はほしいし、欲しいと思われる。

大切なのは、会社がほしいと思っているものは何か。で、それを転職者が満たせるかどうか。なのである。

そこを意識しておかないと、会社の面接の際にニーズにマッチしているかどうか、を伝えることができず、必要なものを与えられるのに与えられるとわかってもらえずに、需要と供給の認識に齟齬でて両者にとって残念な結果になってしまう。

逆に言えば、需要を満たす人だったとしても、やりたいことを語り、需要を満たす意思がないと思われるならば、邪魔にさえなる場合がある。(転職する、ということを主に考えるならば)

個人にとって「自分のやりたいこと」は必要ない

で、個人にとっても、転職に際して、「個人のやりたいこと」は必要ない。

会社が欲しいのは、ニーズを満たす転職者であり、無限のポテンシャルではない、というのは先に言った通りだが、

なによりも

なにかやりたいことがないと転職はしちゃいけない」という誤解。

「転職したいんすよ」
「なにかやりたいことがあるの?」
「べつに・・・・」
「だったら今の会社にいればいいじゃん」「そんな気持ちだと他は雇ってくれないぞ」的な

べつに転職したかったら、すればいいと思うんですが、なんかこうわかりやすい前向きな理由がないと転職はしちゃいけない的な、思考。

とくにネガティブな理由でもいいし、フラットに理由づけも必要ない。

どこでどう働くかも働かないかも自由。
なにかやりたいことが見つかるまではこの苦痛に耐えなければいけないってわけでもない。

ふつうに辛いとかでもやめていいと思うんですよね。

この辺を意識しとかないと手遅れになっちまうので、前向きじゃないと転職しちゃいけない、というマインドロックは外しといたほうがいいんでないかな、と思います。

働くことに意味はない

ブレイブストーリー(宮部みゆき著)。の映画版しかみたことないんですが、冒頭に主人公(小学生の男子)の親父さんが不倫(時事ネタじゃないよ)して、家を出ていくシーンがあります。で、その時に「自分は家族のために好きでもない仕事をして、やりたかった音楽を捨てたんだ!!」的なことをいうシーンがあります。※すげぇ雑な記憶なので若干違うかも。

まぁこの親父がダメなのかはここではいいのですが(多分だめだけど)、
ここで思ったのが「夢を捨てる」ってことはダメなことなんかなぁ、ということ。
いや、親父さんが音楽をやる意味なんてないんですよ。すげぇ極論かもしれないですが。
というか人が生きていることに特に意味なんてないので、音楽をやりたいと思うことも、諦めることも、やめることも親父さんの心の中だけの問題で、貴賤もなにもないんすよね。

親父さん的には

やりたいことをやる
やりたくないことをやる

は、やりたいことをやる、ほうが上位に来てるのかもしれないけれども、どっちにしても自分が選択したことだったら、そこに上下はないと思うんですよね。

どっちかというと、特にやる意味もない音楽をやるよりも、誰かのために働くほうが、やりがいもあって幸せなんじゃねぇの? と思います(がこれも主観)。

特に意味のない人生。意味を与えるのは自分自身。

他者や社会の評価を軸にすると、案外幸せは遠のくものなんじゃないかなぁと思います。

なので、転職する時に「やりたいことは必要ない」けれども、生きていく時に「どう生きたいか」は必要だと思います。

だって特に意味はないんだから。

参考






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