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長崎にて

昨日から長崎に来てる
年に2~3回来るようになってからかれこれ5年
いつか行こうと思って
なかなか行けずにいた原爆資料館
長崎へはもう10回以上きてるけど
ようやく今回、時間ができた
…というより無理やり作った笑

安くて便利な路面電車にのって

去年の3月で重要任務が完了したことと
9月から副業(こっちが本業か??)を
ほとんどまるまる人に任せることができたので
以前にも増して時間がある

そろそろブラブラするのをやめないと
神さまに叱られそうだ
とかいう割に、用もなく前乗りして原爆資料館へ行く
おお神よ、後学のためお許しください

意外と近代的

修学旅行で来たはずだけど全く記憶にない
現地に着いても何も思い出さない

当時どれだけテキトーな気持ちだったか
そのことだけでもよく分かる
まあ、それは原爆資料館に限ったことじゃないけど

入口から地下へ時代を遡る
ぼくが産まれたのはここらへん

テレビや動画で見たことがある資料も
現地で見ると伝わってくるものが違う
迫力というか現実味というか…
当時、そこに生きていて
それを使ってた人達がいたという実感
たくさんの写真や映像に映る人
死んでる人もいる
その後死んだだろう人も
ずっと苦しみ続けた人もいる

表現する言葉がない

止まった時計

ちょうど団体で来ている高校生たちがいた
ふざけながら見てる子もいるし
真剣に見てる子もいるけど
何人が自分事として受け入れているだろうか
今はふざけてたとしても
ぼくのように将来また来る子もいるかも知れない
今日は真剣な顔をしてても
明日になったら忘れてる子もいるかも知れない

彼らのような人たちがどう捉えるかによって
将来が変わるんだろうな

展示の最後に平和宣言というのもあったが
彼らはどうすればいいのか?についての
明確な答えは用意されていない
それがわかってたら苦労しないんだから
当然と言えば当然だよね

結局、怖いなぁとか悲惨だなぁとか戦争ダメだなぁとか
そういうフワフワした感想だけになりがちなのも
しかたないのかも知れない

ウクライナやガザ、北朝鮮、中国の動向を見てると
「軍事予算を増やせ!」とか「核武装やむなし!」
っていう議論も分からなくはない

でも原爆資料館を見ると
簡単に戦争とか原爆とかいう言葉を使うことすらも
はばかられる思いがする

どうすれば戦争も核兵器も無くなるのか
考えてみたけどやっぱりわからんね

ファットマン

ただ戦争の根本にあるのは
貧困と宗教やイデオロギーだよね
大陸国家の覇権主義というのもあるけど…

特に宗教やイデオロギー
一神教の人々は争いを起こしがちな気がする
いや、それを大義名分にしてるだけなのかもだけど

十字軍、ピューリタン革命、ユグノー戦争
イスラムではジハードとか言われたり
朝鮮やベトナムの根底にはイデオロギー対立があった
ウクライナだって厳密には宗教も絡んでる

日本は八百万の神の国だけど
現人神としての天皇を祀った時に
対外戦争を繰り返したし
信長や家康が宗教を「無くす」までは
天文法華の乱や島原の乱があった

宗教とイデオロギーは同一?

正解のないことならどっちも悪くないはずなのに
邪教だ、異教だと他者の存在を認めないところに
争いの根本があって
それは心の貧困とも言えそうだ

考え方が違うのなら、少なくともお互いに
関わり合わなければいいだけなのに
なぜみんな干渉してくるのか

外国人観光客が多いことにも驚いた
良く考えればコロナ騒ぎが収まってから
またどこに行っても外国人だらけ
だから驚くほどのことではないんだけど
中国人、韓国人、アングロサクソン系の人
いろんな人か来てるのはいいことだね

次は新しくなった広島の資料館にも行きたい

写真を撮る前にトマトを食べてしまった

晩ご飯はトルコライス
地元民にすすめてもらったお店へ
本を読んでたら店員のおねえさんに声をかけられた
彼女はかなりの読書家らしい
心地よいお店だったので
コーヒーも注文してゆっくり読ませてもらった
ミルクセーキも有名なんだとか

戦火を乗り越えた大正14年創業の喫茶「ツル茶ん」