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あたたかな微笑み (日常非日常の物語という名のエッセイ)

時々見せる、ちょっとした微笑みが好きだった。
あなたは女性相手によく笑う方ではなかったから、なおさらその笑みをみられた日は浮かれたものだ。
どちらかといえば強面で、年齢より歳を重ねていると思われていて、女性から話しかけるのはちょっと躊躇ってしまうタイプ。
実は、私と誕生日が4日しか違わない同い年。
その4日のことを「4年の差だ」と言い張って笑ったあなたは、無邪気な子供のようだった。
そんなあたたかな微笑みはなかなか見せなかったけれど、一度親しくなってしまえば、気を許してくれている感じがしてとても嬉しかったのを覚えている。

そう、多分私は、あなたのことが大好きだったのだと思う。

私は一人っ子のせいか、人と付き合うことが苦手で、恋愛となるととことん苦手で、どう振る舞ったらいいのかもよくわかっていなかった。
そもそも自分があなたのことを好きなのだと気づくこともなかった。

あなたは、神話や歴史にとても興味を持っていて、ギリシャ、ローマ、ケルト、北欧、日本書紀など、あらゆる神話や伝承に詳しくて、それは私も同じだったから、話が合うということもあったと思う。
そんな男性に会ったことはなかったから、話すのが本当に楽しかった。
当時の私の職場は、女性メンバーは私一人というある意味特殊なプロジェクトで、周囲はとても気を遣ってくれていたのは知っている。
その頃はSE(システムエンジニア)として仕事をしていたから、夜中に処理が落ちると真夜中にタクシーで職場まで駆けつけた、なんてこともあったけれど、それでもその職場はとても楽しかった。

呼び出すのはだいたいあなたからの電話で、対応プログラムを1本作ってくれ、というのが多かったっけ。
トラブル対応が終わったときのあなの笑顔も好きだった。
そういうちょっとしたときに頬が緩む、その微妙な変化が好きだった。
でも今思い返せば、あなたと話している時は周囲から「夫婦漫才だ」と言われたこともあった。
私は「夫婦漫才?なんで?」と不思議だったのだけれど、私が自覚していなくても、端から見れば私があなたを好きなことはバレバレだったのだと思う。

私はちゃんと笑えていたのだろうか。
今はもうこうして住所も電話番号もわからなくなって、そんなことを思うようになった。
相性は良かったと思う。
一緒に仕事をしていると、とても楽しかったから。
とはいえ、所謂「恋人」として認識していなかったから、艶っぽい話はまったくなかったけれど。
そういえば、あなたは結婚には興味がない、と言ってたね。
そして、私も結婚には興味がなかったから、あなたにとっては害のない相手だったのかもしれない。

多分、今会えたとして、私は多分懐かしさは思い出すだろうと思う。
好きだったことは自覚したけれど、自覚した今も、まだ友人以上恋人未満といった微妙な感覚を覚えるかもしれない。
もう会うことはないと思うけれど。
私は引っ越しをしてしまったし、携帯電話番号も変えてしまった。
あなたが私と連絡を取ろうとしても、もう私はどこにもいない。
それは私も同じで、住所は知らないし、携帯電話番号は機種変更を繰り返すうちに、いつの間にか消えていた。

それでもこうして時々思い出すのは、私があの時、本気であなたのことが好きだったことが、今ならわかるから。
あなたほど私と相性が良い人はいないと思う。
同じ職場のときに、自覚できていたら、今の人生また違っていたかもしれない。
プロジェクトが変わったときも、「行ってくるね」くらいの気持ちしかなかったけれど、「行ってくるね」と思ったのは、いずれまた一緒に仕事したいね、という意味も入っていたと思う。

今、思い出すのは、やっぱり普段はあまり見せない微笑んでいるあなたの表情。
好きだったな、やっぱり。
他にも「付き合ってほしい」と酔狂なことを言われたことがなかったわけではなかったけれど、どこかピンと来なくて、食事を1回して終わりにしたし。
神話、伝承、伝記に詳しい弾性なんて、そうそういないし。

うん、好きだった。大好きだった。
今なら自覚できる。

あなたが好きです。

一言、言えていたら、何かが変わったのかもしれないけれど。
所詮は過去の話。

一人暮らしの夜に、そんな思い出に浸るのも、そんなに悪い気分じゃない。


お題提供:loca 管理人:冴空柚木さま
お題配布サイトURL:http://loca.soragoto.net/
使用したお題:表情でかく小さな感情

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