見出し画像

バタートースト誘拐備忘録~LOVERS by Ulala Imai~

初春のあいさつ

近所の軒先の、枯木の間をぬって梅の花が顔を覗かせている姿が、その薄桃色の初々しさも含めなんだか愛しく思える今日この頃。鳥が囁き合い、風がひやりと心地よい季節がやってきました。

住宅街、公園、川べり、どこもかしこも木々は陽光に撫でられるように揺れていて、俗世から離れたくなる昨今は特に、そんな季節の情景に心惹かれます。

何気ない部屋のグラスや食器を縁取る光も、窓から射す三月の陽光に照らされたそれらはひっそりと輝き、何故が尊くみえてしまいます。そんな風景を時折スマホに収めようと写真に撮ってはみても、ファインダー越しに見るそれは肉眼でみるより案外さっぱりして見えて、数日たてば生活の副産物みたいな写真(うまくできた弁当、外食で食べたラーメンの写真)と同じ運命をたどるのです。(つまり一緒にフォルダの海底に沈んでゆくのです…)

画像5

先日観に行った映画の中で、暗くて孤独な世界しか知らない足の不自由な女の子が、ある日突然青空の下に投げ出され、呆然とする中目を細めてつぶやきました。

「あの雲、持って帰りたいわあ…」

このシーンに私はじんっときたのでした。孤独な彼女にとって、その何の変哲もない小さな雲は、自分に繋ぎとめておきたいくらい特別にみえたのでしょう。自分の立場を踏まえた上での等身大の台詞です。

そんな心惹かれる風景をその時の光量、気温、匂いまで閉じ込めて写真に残せたなら、なんと素敵なことでしょうか。

’LOVERS’ 今井麗 個展

先日、ワコールスタディーホール京都で開催されている今井麗さんの個展に行ってきました。

画像2

今井麗さんは油絵を専門にして、生活の中にある食品やおもちゃをモチーフに絵を描かれている画家さんです。その作品は最近では書籍の表紙を飾ったりデパートのキャンペーンに利用されたりしているので、一度でも見かけたことがある方が多いのではないでしょうか?

彼女の名刺代わりといってもいい作品がトーストシリーズ。こんがりと焼きあがったバタートーストが一枚、白いお皿に載せられそこにある。ただこれだけなのに、黄金色の焦げ目も今にも溶けだしそうなバターも愛らしい。焼き目の上を走るナイフの音、かぶりついた時のカリッとした食感まで、一枚ですべてを称えているような絵。まさにこの作品、「持ってかえりたいわあ」な絵なのです。

画像1

私自身彼女の絵を知ったキッカケが植本一子さんのエッセイの表紙になっているトーストの絵です。誰でも描けそう、どこにもありそうなその風景はどうしてこんなにも愛おしいのでしょう。(画像クリックでアマゾンに飛べます)

麗さんの作品の特徴はパステルカラーで描く被写体の発色の力強さにあります。淡い色合いの中で被写体が放つ確かな存在感。やさしい肌触りを連想させる濃淡のタッチ。幻想的でいて写実的、そんな不思議な持ち味の世界を描くことができる方です。(絵画に詳しくないのでこのあたりの表現難しい…)

麗さんにかかれば、平凡になりがちな食べ物やおもちゃたちの絵はまるで思い出のワンシーンのようにその空間ごと鮮やかに平坦なキャンバスに閉じ込められるのです。

描いたものすべてがいとおしい

「LOVERS」と銘打った今回の展示テーマ。個展のポストカードにはこんなキャッチコピーが添えられていました。

会えない人を思い出して、過ぎてしまった過去を時折振り返り、悔やんではまた明日に進む。描いたもの全てがいとおしい。

これは麗さんご本人のメッセージでしょうか、彼女の絵をみたスタッフさんが綴ったものでしょうか。2020年から始まったニューノーマルな時代。人と接することさえも制限されている今、最後に私達が人間らしく友人や愛する人たちと抱き合ったり囁きあったりできた日々を懐古するかのように、麗さんの絵にも二度と戻らない過去の愛しい日々が体現されています。

桃、チーズとパン、グレープフルーツ、今回もお馴染みの食べ物シリーズが豊富に飾られていました。会場の照明にも負けないくらい、それらはほがらかな表情を光らせていました。

特に忘れられなかった絵が魚と生牡蠣の絵。白い平皿に載せられた数匹の艶やかな小魚、そして大きな身の入った生牡蠣、それに添えられたレモン。この二作品に思わず見とれてしまいました。麗さんの絵画で魚介類を目にすることはなかなかありません。あるいは私が当時空腹だったからか、小さい作品ながらもその他の鮮やかな被写体の中で特別惹かれるものを感じました。

画像3

おもちゃのシリーズも何点か展示されていて、どの作品も偶発的なのか戯れなのか、そこに秘められた物語を妄想したくなる絵画ばかりでした。つぶらな瞳のぬいぐるみたちが草むらでじゃれるように横たわっている絵。木の上によじのぼったクマのぬいぐるみが遠くを見つめながら冒険を夢見ているような大きな絵。一枚一枚作者のメッセージを探りながら鑑賞するのが凄く楽しかったです。

画像4

ソーシャルディスタンスを取るには二~三人がやっと入れる広さしかない小さな展示会場でしたが、耳を澄ませば食卓でごはんを用意する時の食器の音や子供たちの声まで届いてきそうな、誰かがさっきまでそこにいたという確かな温かさが立ち込めた空間でした。それは、麗さんの何気ない過去の愛おしい思い出を追体験できる最高に幸せな空間でした。しかも運よく私一人しかいなかったのも良かった!!!

LOVERS展を振り返り~美術鑑賞は画家の脳内に迷い込むこと~

今回の’LOVERS’展を思い返す度に考えることは、その画家にしか生み出せない記憶の情景を、その空間と手触りごと疑似体験できるのが美術鑑賞の楽しさなのだなということです。

絵画が写真と違うところ、それは人間の脳を介しているためその作家が一番伝えたい箇所が色濃く作風に出るところです。なんでそんな風に描写するの?!といった、その画家の頭の中の記憶や創作概念を一度とおった絵は誰もが理解できる模写とは限りません。晩年のモネが派手に塗り固めた太鼓橋の絵のように身体的理由を作風の持ち味にする例もあります。中には前衛的すぎて理解不能な絵画もありますが、その人の頭の中を想像してみようと努めることは画家の脳内に迷い込んでゆけるということなのです。そこで初めて柔軟な気持ちでその作品を鑑賞でき、他人を前にして自分の価値観の押しつけが如何に無駄かを思い知るのです。

今回の個展でも謎の構図で置かれたおもちゃたちが無茶気に笑いながらこちらを見ていました。想像力が掻き立てられ、帰宅してからも麗さんの過去の作品をもう一度見返し、想像力をいっぱい掻き立てることができました。後から知った事実で、西洋画の大天使をモチーフに投影してたり、好きな洋画のワンシーンをまねた構図の絵を描いてたり、ああ、だからこんな世界観になるのか!と新たな発見が生まれたり。(麗さん本当に面白すぎる…)

個展開催期間~おわりに~

入場は無料、開催期間は3月26日(金)までとなっています(土日祝は閉館)。是非興味のある方は会場に足を運んでみてください。絵画に閉じ込められた麗さんの朗らかな食卓風景、目が真ん丸の純朴なおもちゃたちが織り成す物語を、体験、想像してみてください。きっと俗世で波打ちだった心が穏やかになります。(もちろんBGMはジョンレノンのイマジンがよいでしょう!)

更にあなたのお気に入りの絵があったらば、そっと心の中に連れて帰りましょう。私もお腹がすいた時やモヤモヤした時は、そっと個展から連れ帰った麗さんのバタートーストを心に浮かべてみます。そしてその香りと焼目に走るバターナイフの音に癒されるのです。

画像6