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小倉山から愛宕山 マインドフルネス登山

九月中旬、京都は嵐山にある小倉山から愛宕山までハイキングに行ってきました。晩夏から抜け出せない茹だるような暑い日でしたが、山道は落ち葉や木の実で既に秋化粧、新たな季節の始まりに喜々とした一日となりました。

今回は数年ぶりのソロ登山で、行く先々で出会う蛇や虫の群れに見事なまでに腰を抜かしてしまい、同伴者がいるときには味わえないサバイバル感を楽しむことができました。普段の生活で如何に感性がだらけていたかを思い知らされました。登山をする時は毎度「学びを持って帰る」のがテーマなのですが今回はどんな気づきがあったのか、私のへっぴり腰ぶりも晒しながらお送りします!

今回の行程

嵯峨嵐山駅→小倉山(頂上は素通り)→愛宕神社(愛宕山)→清滝トンネル(ゴール)

喫茶店から嵐山公園へ

早朝、まずは大好きな喫茶店でモーニング。こちらのハムサンドのマスタードソースは甘辛で、コーヒーの苦味と相まって脳に良き目覚めをもたらしてくれます。登山前とはいえコーヒーで始める朝だけは譲れません!

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腹ごしらえを済ませれば、店を出て渡月橋がある桂川へと南下します。ふと見上げれば台風一過の恩恵を受けた空は晴れ間をぐんぐん広げていました。

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↑ 渡月渡くんのお口。一応顔はめパネルなんですよ。

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渡月橋まで突き当たれば、橋と桂川を左手にアラビカコーヒー、鵜飼の船着き場を通り過ぎます。早朝だからか、このご時世だからか少し寂しい嵐山。それでも蕎麦屋の店先に並んだ大小様々な狸像たちは顔色ひとつ変えずに今日も空っぽの客席を笑顔で眺めています。

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小倉山 孤独な脱出ゲーム

嵐山公園内に入れば本格的なハイキングコースの始まりです。道なりに進むとそのまま展望台に到着でき、正面からは平坦な京都盆地とその中を蛇行する桂川がよく見えます。裏手に回ると奥嵯峨の住宅街と田園の長閑な風景が広がっていて、稲刈り前の田園は僅かに黄色く色づいていました。(「稲刈り前」って米好きにはワクワクする言葉)

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なんて風情なことを言ってますが、実はここにたどり着く前に謎に迷子になり30分ほどコースアウトしてしまいました。ジャングルのような足場も手元もおぼつかない危険地帯に入ってしまい散々な目にあったのです。そしてこの展望台から次の目的地、六丁峠に着くまでに二度目のコースアウトが待っていたのです・・・・。

山行計画をばっちりしていたものの展望台から小倉山までは全くと言っていいほど(もしくは私の行く先のみ)標識が無く、地図にも反映しきれない分岐点が多いのです。お手上げの私は展望台を去る時に玄人っぽい登山客の方に道を尋ね、やっと次の目的地への手がかりを掴めたのですが、ここでその二回目のコースアウトが起きたのです。案内されたコースはなんと立ち入り禁止区域でしかもそれが間違ったコース。低山ハイクで気楽に構えていた分出鼻を散々挫かれ、砕けました…。

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ひたすら一人で進む秋の里山。道を阻む草木と同様、四面から響く九月の蝉の意地っぽい大合唱にさえ手を遮りたくなります。青い木々の下には既に枯葉や栗が散らばり、期待と刹那が入り混じる、晩夏と初秋の境目をまさに歩いているような時間です。

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唯一出会えたハイカーにすがる思いで教わった道。まじか?!だれか正解を教えてくれ!

次道に迷ったら嵐山に引き返してただ観光だけして帰ってやろう、そうひねくれひたすら茂みを進むと、やっと目的地「六丁峠」と元気に坂を駆け上がるトレイルランナーを発見。生存者確認涙。久々の人気にホッと胸を撫でおろした私。小倉山脱出ゲームは二時間でフィニッシュを迎えます。冷や汗出まくったあ。

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保津峡~落合~清滝 ソロ登山の醍醐味

下山して次に目指すは愛宕山入り口の清滝。清流保津川に沿って歩いていきます。

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保津川は気持ちいいくらい透き通ってて、身を乗り出せば思わず吸い込まれそうになります。小魚も見えるんですよ!

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小津安二郎が生きていたら是非撮ってほしい。「カップ麺の味(仮題)」川原で軽食を摂りながら釣りをする親子。何気ない休日、何気ない日々。川の流れは人によって様々な捉えようがありますから…。

「落合」の看板が出てきたら後は清滝まで木陰に隠れた岩場の一本道が続きます。水辺は空気が澄んで気持ちがよく、ここは火照った体が鎮まる束の間のオアシスです。

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そして耳心地のよいせせらぎ。澤の音はどこかテレビの砂嵐と同様にお母さんの子宮内の音に似た癒し効果が有るんじゃないかと勝手に思っているのです。そして普段仕事や家事でマヒしていた自分の中のシコリがこういう場面に遭遇すると形而上的にぽっこり姿を現す気がします。それがキャリア、ライフスタイル、スタイルアイコン、何がどこでネックになって膿んでいるのか自分と真正面に向き合えるこの時間はソロ登山の醍醐味ですね。

落合から川沿いをひたすら進み一時間足らずで清滝に到着!ゲンジボタルがいる赤い橋が清滝到着の目印です。お茶屋さんを抜けた先にある愛宕神社の二の鳥居へ向かいます。

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愛宕山 地獄の階段が私に問うたこと

以前書いた記事にも紹介しましたが、愛宕山は火伏の神様を祀る愛宕神社を頂上に有し、京都市民にとっては古来より台所の火伏や子供をしょって詣でる千日詣など今なお市民と深い縁のある場所なのです。

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この日は連休中ということもあり前回以上に家族でパーティ―を組む登山客が非常に多く、大人の膝丈しか無いような小さな子供が頂上目指して進む姿には脱帽します。(写真のように赤ちゃんを背負い歩くご夫婦も逞しい)今なお市民が古来のしきたりを重んじている証ですね。

愛宕山名物なのが心臓破りの階段。この麓から頂上の神社まで標高900m以上に及ぶ階段は、山頂までの定番コースと聞けば低山クラスですが神社の参道となるとかなりきついものがあります。山上によくある参拝者用の駐車場は存在しませんので、神社に辿り着けるのは健脚な選ばれし老若男女のみなのです。階段だけのシンプルな行程といえど二時間は上がりっぱなしになるので、途中で息が上がるわ膝が悲鳴を上げるわ普段使いの体力では太刀打ちできない重度の筋肉痛必須の行程なのです!

小倉山付近の脱出ゲームで既に体力を消費しきった私はこの心臓破りの階段を前に自らを奮い立たせるべくここから省エネモードに入ります。写真は控え、歩幅は小さく、心拍が激しくなったら小休憩。

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頂上付近までは壮観な景色が現れず、「見上げれば階段」という同じ風景が永遠に続きます。そのため等間隔で設置された地元の方の叱咤激励の標語が唯一の登り甲斐です。その内容に思わず笑ってしまうのですが、立て板の隅のカウント表記にも毎度目覚めさせられます。

この数字が全く増えない!!!頂上まで40あるこの立て板、どれくらいの距離で設置されているのか、1/40ずつが中々増えません。表記の位置より倍の所にいるはずなんだけど?!山頂まで半分も過ぎていない時点で私の脚は全然上がらなくなり、後ろから迫る登山客や汗ばむマスクにも神経が過敏になるばかり。休憩中も時間ごとにきつくなる暑気に容赦なく体力が奪われていきます。進めども進めども階段が続くばかり。何度か心が折れそうになります。

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そんなデジャブの様な朦朧とした景色の中で私を救ってくれた言葉があります。それは私が好きなあるキャスターの言葉。

あるグローバルメディアで毎朝金融経済関連のニュースを担当するこのキャスター。ある日彼は異国に住む父親が危篤だという一報を受け、看病のために自身の生番組を数日間休む決意をします。休暇前、彼は自身の生番組冒頭でその決意表明をするのですが、病に伏す父に向けてCM前にこう締めくくりました。

"Stay well, be safe, and just remember there is far more to life than some numbers on a screen"                          「どうか気丈に、無事で、そして忘れないで、人生には画面の数字(株価)よりももっと大事なことがあるということを。」 

以前、彼の放送のアーカイブを何気なく観ていた私はこの言葉に胸を打たれたのです。カメラの向こうから毎朝最新の世界市場の情報を待つシビアな視聴者の目が向けられていることを想像すると、彼の私用の発言は勇気ある渾身の発言だと思うのです。ましてやプライベートを普段一切明かさない仕事気質な彼には仕事をほっぽり出して実家に帰るなんてことは易々と言えなかったと推測します。

私は、誤訳かもしれませんが、これは彼が危篤の父親に呼びかけた応援の言葉だけでなく、常日頃から売値や数値化されたノルマや指標に暮らしを左右される視聴者に向けられた言葉だともとれたのです。数字に惑わされ本来大事なことをわすれていないか?そう問うているのではと。私は頂上を目指しに来たのではない、普段内勤で太陽に飢えているから、コロナを忘れてただアウトドアを楽しみたかったからここにいるんじゃなかったのか??!!

とにかく今できる範囲で進もう、私はこの地点から左右にギザギザ進んで脚の負荷を抑える歩行に切り替えます。(電車でいうスイッチバック走行。はたから見たらかなりの変人)こうすると無理なく体力を温存しながら階段を進むことができます。休みながら、兎に角自分のペースで前に前に進むことしか考えません。気が付けば今自分が何合目かも、いつまでこの地獄が続くのかも、どうでもよくなってきたのです。

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スペシャルサンクス はちみつ梅 

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頂上の情報の方が小さい、小さすぎるぞ。

一心不乱にギザギザに歩き続けること約1時間、目線の先に突如黒門が現れます。愛宕神社の入り口です。しかし前回の経験から、それが頂上のある本堂まで続く石段の序章に過ぎないことを理解していたので、引き続きゆっくり進みます。

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しばらく無心で歩くと、石段でグリコをして遊ぶ元気な姉弟に遭遇。微笑ましい光景のその奥には愛宕神社本堂の屋根が見えます。すっかり鉛になり果てた脚を騙しだましに上げ続けること数分後、ようやく待ち望んだ本堂に到着です。っしゃあああああ!(心の中で両手を挙げて叫んでます。)

出発から5時間、数時間前に低山で道に迷って嵐山観光に予定を変えようとしていたポンコツ人間が遂に登りきった924mはかなり満足いく体験です!数字に惑わされるか、それを指標に自分を褒めるか、物事は捉えようだぞ!

一先ず本堂を詣でたら、広場に移動して昼餉に入ります。

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今日のご褒美飯は丹波栗の俵むすび!一口目から体がほぐれる〜!おいしい~!

剥き栗のご飯なんて子供の頃以来で、昨晩からの不慣れな下処理、さらに体を酷使した運動後だから味わいが二倍三倍にも広がります。スーパーの見切り品だったブランド栗もご馳走に返り咲いて、レスキューしてあげた自分をも褒めたい気分。一緒に添えていた糠漬けキュウリのしょっぱさも発汗後の体に瞬間吸収されていきます。

木漏れ日の中、同じく昼食を摂る幸せそうな親子たちと天上にいる心地で食べるごはん。きっと地上で食べたら普通なんだけどね。クライマーズハイってやつですね。内勤で疲れていた脳内からセロトニンがわんさか出ています。


門前町 もっかい来た道をおくだりやす~

山頂でしばらく脚を伸ばした後は清滝コースへ向けて下山します。下山といえどもあの地獄の階段をもう一度歩くと考えると少し肝が冷えます。とにかく下山時もギザギザ左右を行きながら進みます。明日の筋肉痛がちょっとでも軽くなりますように…。

下山後は行きとは別の道を進み清滝トンネルに入ります。「例の」トンネルです。(歩行可能)

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トンネルを抜けるとそこは嵐山の奥座敷が軒を連ねる門前町。

「鮎の宿つたや」前を通るとお店のワンちゃんに遭遇できます。しかし後ろの張り紙にご注目。

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静かな門前町を歩いていると謎の実がたくさん生っている木を発見。何の実だろうと眺めていると木の下には一目憚らず夢中で落ちた実を貪りほおばる壮年の男女とおばあさんが。異様な光景にたじろいでいると「あなたも、はい!!!」急に熟れたその実をおばあさんから手渡された私。「そのまま口に入れて!!」トンネルを抜けた先の蠱惑な出来事はすべて警戒しなければならない、子供の頃ジブリ映画でそう学んだ私ですがおばあさんのあまりのプッシュに気負いし、私はその実を丸ごと口に放り込みます。エイや!!

おばあさん「どう?」

私「……んん!甘い!……おいしい!」

おばあさん「でしょう?!」

普通に熟れた柿でした。そしてこのおばあさんはこの木と傍の有料駐車場の管理人さんでした。例年以上の柿の豊作で、勿体ないから道行く観光客をこうして無理やり(⁉)柿でもてなしているそうなのです。そしてゾンビさながらの壮年のご夫婦はそこに駐車していたただのお客さん。口元拭ってサッと帰って行かれました。束の間の愉快な出来事に癒されます。

おもてなしといえば、登山中に地元の方々からかけられた「おのぼりやす~」という京都弁にも一抹の癒しがあります。下山者が登山者に対して言うのが「おのぼりやす」、登山者が下山者に言うのが「おくだりやす」だそう。つまり街で観光していても聞くことができないある意味レアな方言なのです。生の「おのぼりやす」を聞けた時はすごくラッキーな気分になりますよ!(調べてみるとどうやら愛宕山特有の文化だそう)

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まとめ ソロ登山は一人芝居になりがち

初級ハイキングコースを歩きましたが、今回のように一人きりの山道では虫や獣に怯えることもあれば、清流や花々の美しさに日頃溜まった心のシコリや膿と対峙することもあります。無限に続く階段のように選んだコースによっては普段使いの体力と思考では耐えきれない難所に否が応でも立ち向かわないといけない局面もあります。しかし、全てを乗り越えた後に待っているのは怯えていた小さな自分への感動と自信です。見るものすべてに柔軟に好奇心を抱ける自分に驚いたし、電池切れの肉体でも既知の知識を利用し進めたのです。一人だからこそありのまますべてをドラマチックに捉えられた自尊心が高まった登山、まさにマインドフルネス登山でした!

そして今回の人生のヒントは、今の自分が何処にいるか憂うよりも、そこでどう進むかが大事!目指す先より目指すその瞬間に意味がある!です。敬愛するニュースキャスターの言葉(↑愛宕山中腹での苦しいシーン)は天啓のように空から舞い降り私を苦しみから救ってくれました。記録や頂上や、片付かない業務にばかりに憂いてはならない、一つ一つに意識を集中させて質の高い生き方をしようよ。ありがとう、ジョー!!!!ありがとう、愛宕山!



Jonathan Ferro

https://www.youtube.com/watch?v=BWuaK98THRU