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フランスで救急搬送~救急車が来た

こんにちは ななるです。

7月26日(月)早朝に、救急車騒ぎを起こしました。

今年の4月末に移仏して、約3カ月。
医療保険もないのに!やってしまいました(汗)

フランスの緊急搬送車(救急車)は、日本やアメリカと違って、しずかーにやってきて、しずかーに去っていくので、「騒ぎ」だったのは、当の本人と相方だけだったのが幸い。しかしながら、ひと騒ぎではありました。

朝6時前に緊急処置され搬送されて、病院で処置をうけ、戻ってきたのが13時頃。7時間滞在。
短期間の滞在で入院騒ぎにもならず、よかったよかった。

救急隊員?たちの妙に余裕のある態度とか、「痛い~っ」と悶絶している私を横目に、「日本語?僕初めて聞いたよ!」とか云っている隊員さんの姿とか、彼らのゆとりというか、慣れともいうか、後で考えたらかなり笑えるやりとりも、搬送される側として体感しました。
その場では、ムカッとイラっと、早く何とかしてくれ!だったのは、云うまでもない・・・(笑)

これからフランスで暮らすなら経験しておいて損はないよね?的な体験ができて、ラッキー!(爆)
日本にいても、アメリカにいても、ほぼ無縁に近い状態で過ごしてきた病院とお医者様なので、今回は貴重な体験になりました。

まだ調子は悪く、診察2回目を30日に控えた今、途中経過兼ね、忘れないよう自身の記録代わりに今回の顛末をまとめておこうと執筆しています。


何が起きたのか?

ことの発端は、前日、7月25日です。
早朝2時過ぎに、みぞおちから下腹部までに至る、腹部全体の激痛に目が覚めました。

とにかく滅多切り・めった刺し(どちらもされたことはない)の痛みで、声も出ず、立ち上がれず、居心地の悪さに、這うようによれよれと風呂場まで動いて床に寝たまま朝を迎えたものの、腹部の痛みはひどくなる一方。
どうもお腹を下したり、嘔吐する痛みとは違う。

痛みの度合いが変わるわけでもなく、途中(多分)失神 あるいは 寝落ちしながら、朝を迎えたものの、一向に状況は変わらないまま、痛みにうめいておりました。
水を飲んでも痛いし、身体の向きを変えると嘔吐するし、冷や汗にまみれて過ごすこと半日。

相方が目覚めたのが、朝の10時過ぎ。
(それまで私、独りで風呂場で悶絶してたわけです。)
目が覚めて隣にいないので、いつものごとく、リビングキッチンだろうと見に行っても見当たらず、探しに来たらしい。
風呂場で発見されました。

相方:「何してるの?」
私:「お腹が痛い」

水を飲んでも吐き戻す状態が続いてはいたものの、なんとなく痛みが落ち着き(痛みに慣れたともいう)、ベッドで枕を抱えて横たわったまま夕方を迎え、そのまま夜に。
この時点では、『明日になれば・・・』と期待を持てる程度まで落ち着いてはおりました。
痛みは下腹部から左わき腹にかけて、刺すような痛み。
食欲はなし。お腹が張っていたけれどガスにはならず、水を飲んでも尿意はなし。
右半身を下に、お腹に枕を抱えてうつぶせにさえなっていれば、耐えられる痛みにまで治まってはいました。
「こんなに小に行かずに済むのって、私の身体もフランス仕様になりつつある~?」とか、独りで笑う余裕はありました。

翌26日、早朝2時半。
再び、激痛で目が覚めました。昨日の比ではない痛み。
みぞおちから下腹部まで、内側をグリグリ・グサグサやられる感じ。
ジッとしているしかないのに、ベッドのマットレスの柔らかさすら痛みになるから、再び這って風呂場に移動。
タオルをかき集め床に敷いて、かためて丸めて、お腹のしたに引き込んで、じーっと石になって痛みに耐える・・・数時間。
数時間後、相方が起きてくる。(前日の学習か??)


相方:「何でこんなとこで寝てるの?」

聞かれて答えられるくらいなら、悶絶してない。説明しろって、鬼?

病院に行くか?
車に移動できるか??
救急車を呼ぶか???

立て続けに質問を投げるのだけれど、痛い。話したくても、話せないくらい痛い。
『内臓が痛いと、声が出ない』を学習。

痛さの範囲が前日と異なり、下腹部・左側に広がって動けず、相方に問い詰められているうちに、「這う」も「膝立ち」もできなくなりました。
救急車、決定。

この時点で、相方の物言いがだんだん乱暴になってきた。
痛みに打ちひしがれる私には、これが応えた・・・。傾聴してくれ!(笑)

続きは次回!


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