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ことの葉海溝~傾聴と言葉~ #2

こんにちは、ななるです。
いつもご来館ありがとうございます。

母語と異なる言語で話すひとの話をきくときには、
言語の裏側に見え隠れする文化背景や語源を知っておくと
誤解が生じにくいかもしれません。という話。
「ぼんやりと考える」の意味で使ったI wonderを
フランス語にするとJe me demandeだった件。
翻訳とそれぞれの言葉が含む意味合いの違いに、
感覚的な違和感を感じ、語源を辿ったのが前回まで。

前回に続き、『言葉は文化の写し鏡』を検証します。

ちなみに英語にもdemanderに似た、demandという単語があります。こちらは日本語にすると、要求するですが、実は語源は古代フランス語のdemander(to ask)にあって、このさらに上流はdemandāre。demandoのinfinitif(不定詞)です。どうりでwonderでは、受ける印象が違うはず。

では、日本語は?

”I wonder where THE summer goes..."を日本語にするなら、
「一体全体、今年の夏はどこに行ったんだろう?」でしょうか。
どこに行ったんだろう?は、主語と動詞がぼやけています。
非常に日本語らしい表現だと思います。

敢えて主語と動詞を動員するなら、
「一体全体、今年の夏はどこに行ったんだろう?と、私はぼんやりと考える」。
考えるよりは、「想い巡らせる」かもしれません。

考えるの語源は、「かむがふ」で「か(彼)・むがふ(向ふ)」。

「彼(か)」には、「遠く」という意味があったはず、と
コトバンクさんにきいてみました。

[語誌](1)古くは「これ」対「かれ」、「こなた」対「かなた」のように、近称「こ」対遠称「か」の対立が中心的であった。平安時代に「あ」「あれ」が現われ、しばらくは「か」「かれ」と共存して、おおむね、「あ」「あれ」は現場にない対象、「か」「かれ」は現場に見える対象のように使い分けられていたものと考えられる。中世に入ってしだいに「か」「かれ」が衰退し、遠称はもっぱら「あ」「あれ」が担当することとなった。

面白い。
「彼(か)」は、実際に遠くに存在する対象を指し示す言葉なんですね。

じゃあ、わかったような気になっている「むかふ(向ふ)」は、
一体全体 どういう意味なのよ?とまたまたコトバンクさんに質問すると、
「向ふ」は名詞で、動詞の「向く」とはニュアンスが異なる様子です。

【向ふ(名詞)】
① 対する前面。前方。かなた。
⑥ ある物事の反対、あるいは対照。
【向く(動詞)】
① その方向・方角へ、自分の正面が位置をとるようにする。面する。また、対する。
③ その方向・状態に移行する。その傾向に進む。かたむく。
④ うまく合う。適する。似合う。相応する。

日本語も、ひとつの単語に深く広い言葉の深淵が、
もちろん広がっていたわけです。

「かむがふ」は、実在する遠くの対象へ進んでいく、
傾いていく、対面するというような意味合いでしょうか。

だとしたら「考える」は、実在する対象に対して、
向かい合って、思考を深めるを意味する言葉であって、
I wonder・・・のような漂う心の動きを指し示す言葉では
ないのかもしれないと感じます。

どういう表現を当てると、適訳になるんだろう。
日本語の古語を、もっとまじめに勉強しておけばよかったと、
学生時代の連続記憶処理な「流し勉強」を深く悔やむ私。

<Je me demande>とフランス人

ぼんやりと考えを巡らせるI Wonderが、
己の心の内側を手探りするようなJe me demandeになる
フランス人のあり方には、興味が深まるばかりです。

我が相方曰く、
「フランス人は内側なんだよ。自分の内側に込めるのがフランス人!」

笑う。だから情熱的なんだそうだ。

とはいえ、考えてみればそれはそうです。
都度 全部ぶっちゃけてたら、エネルギーが無くなっちゃう。
客観的に見ていると、四六時中『感情をぶっちゃけ』ているような
フランス純粋培養の方々ですが、内側にこもっているのだそう。
エネルギー量が違います。マグマですね。

結論。
フランス人の愛は、熟成させるからこそ愛。


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