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情報感度と感情感度。学ぶことは、感じる情報を増やすこと

祖父はいつから、わたしの名前を忘れてしまったのだろう。実家に帰るたびに聞こえたかすれた低音を、もう聞くことはないのだろうか。

前兆はあったかもしれない、と思った。ちいさい頃から、同じような話を何度もわたしに聞かせていたし。戦争の話、大学受験の話、会社の話。記憶力の悪いわたしですらしっかり覚えるほどに、祖父は繰り返しはなした。

認知症というと、かわいそうにと言われる。もしくは、お気の毒にという顔をされる。

むしろわたしは、祖父が認知症になったと初めて聞かされた時、よかったなあ…なんて思ってしまったのだ。不謹慎なのかもしれない。でも、本当に苦労してここまで来たひと、らしいから。悲しい記憶がないのはむしろ、しあわせなことなのかもしれない……なんて。

起きてきて、ぼーっとして、ご飯を心待ちにして。美味しそうに食べて、お昼寝をして。介護ナシには暮らせないけれど、結婚した祖母のことはちゃんと覚えていて、祖母が怒ると「怖いねえ」なんてわたしに言いながら。

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みんな、他人の不幸を決めたがる。自身の物差しで決めたがる。そんなことしても何も変わらないし、自分がしあわせになるわけでもないのに。やさしさは素晴らしいと心から思っているが、そのお面を被ったつめたい同情もあることを、知ってしまった。なんでも知りたい、と思っているがこれはあまり知りたくなかったことのひとつである。

「知りすぎている」
と、たまに言われる。見なくていいものまで見えてしまうことがある。世界の感度を下げれば楽なのだ。知らなくていい権利だってある。でも、その選択はわたしにとって楽な選択であり、それは逃げることに等しい。

情報は刺激、手に取るまでは形が見えないルーレット。つかめばつかむほどアタリの数は増えるが、傷つく刃のようなとがった刺激も多い。情報感度をあげることも、感情の感度をあげることもリスキーだということを覚えておかなければならない。

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学びなさい。学ぶことは、感じる情報を増やすこと。たしか、そんなことを祖父は言った。

祖父はわたしの顔を見て、娘だっけ、というような顔をする。

ちがう、じいじ、わたし。あなたの孫。戦争の話も、偏微分の話も、わたしがちゃんと覚えておく。だから安心して忘れていいよ。でも少しだけお願い、だいすきなばあばのことだけちゃんと覚えておいて。


読んでくださってありがとうございます。今日もあたらしい物語を探しに行きます。