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愛すべきミーハー心は、余力が生んだ魔法。

「私たち、ていねいな暮らし系ミーハー女子だと思うのよ」

混雑しているけど整頓された、すっきりとした空間。駅から徒歩10分近くは離れたカフェで、甘いケーキとコーヒーをいつものように側におき、彼女は言った。
カフェ、スイーツ、おしゃれでかわいいもの。多分私たちが惹かれるものはいわゆる流行りのモノ。そしてそれを追う人のことを世間ではミーハーと呼ぶ。そしてこのカフェも多分、その類。SNSで調べるとまっさきにおしゃれな店内と料理があらわれる空間。

たしかに、と思った。こだわり抜かれたもの、どこか不思議なアート、物語のある何か。流行問わずそういうものに心を動かされるのに、流行を追わずにもいられない。好きの多様化が存在する今だからこうして言語化できているだけで、もしかしたらこれが普通なのかもしれないけれど。

「好奇心旺盛」という言葉は、裏を返すと「飽き性」になって、「なんでもやってみる」という言葉も、いつか「始めても続かない」になっていた。他人の手で一度マイナスにされてしまった言葉を元に戻すのには時間がかかる。私はそれをこの1年で急激に取り戻した。多分、こんなルールが自分の中に生まれていたからである。

知らない感情と、やってないことは批判しない

こんなふうに綺麗にアウトプットしたのは最近のことだけれど。「セブンルール」という番組が大好きで、好きよりもっと、出会うべくして出会えた、私にとって欠かせない番組。

“be:ルール” それは女性としての生き方を愉しみ、自分らしく美しく輝くための、ちょっとしたこと、ちょっとした“ルール”。そんな風に定義づけられて展開されるこの番組は、私の生きるバイブルである。番組を見て、私のルールってそういえばと言語化した1つである。そんなルールがあるんだから、と「やってみる」こともフットワークが軽いことも、いろんなものに出会い続けることも、何を言われても気にせずにいられた。

愛すべきミーハー女子たち、大丈夫。いつかその「いつまでも新しいものを追う」ことを、「変化を楽しむという軸だ」と言ってくれる人たちに出会えるよ。そんな世の中ができあがるかどうかはわからないけれど、そんなコミュニティには流れるべくして流れ着いて、あなたらしく輝ける。
そんなことを、昔の自分に伝えたくなった。

ミーハーとは言ったけど。流行りのお店はコンプリートできないし、しないし、意外と知らない店も多い。ジェニックな写真を撮る前に待ちきれず食べてしまうし。だから「おすすめは」とたくさんの知識を求められると困るのだ。私たち、ミーハー心をいつまでも持った、ただのめんどくさがり屋なのかもしれない。だって新しいカフェに行くのは心に余裕があるときで、結局は何度も行っているお店や自分のルーティーンを愛している。無駄とか余白が大好きだからこそ、それを生むために自然と必要なものはちゃんと選び取っている気がする。こだわってちゃんと選んだものが、ミーハーと呼ばれる時があるだけなのかもしれない。

流れにのらないと置いていかれるかもしれない、という無意識がどこかにあるのかもしれないとも思った。そして、“多くの中から選び取ったこれ” という最高の肯定も、私たちの安心材料なのである。

解散の時、「そろそろ帰ろうか」が私たちにはない。なんとなく同じリズムで支度をする。そんな私の愛すべき余白に立つ彼女は、髪を耳にかけて目を伏せた。その時に揺れる白い袖口があまりにも彼女らしくて嬉しくなった。

そんな話を、今度は誰にしようかな。自分プロデュース “ていねいなルーティーン” が生んでくれる “ミーハー心”。それはきっと、ひとと感情、ときめきに出会い続けるために、欠かせないものなのだ。

#日記 #エッセイ #コラム #流行 #ていねいな暮らし #ミーハー

読んでくださってありがとうございます。今日もあたらしい物語を探しに行きます。