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わたしが愛した紙とペン。心向かうは森、道、市場

今日だけは、携帯という忘れものをすると決めていた。紙とペンと、最低限必要な小物だけを持って電車に飛び乗った朝。「スケジュール帳についている路線図を使わないなんてもったいない」なんていう一瞬頭をよぎった思考を消化するためだけに思いついたのは、「携帯を忘れものにしてしまおう」ということだった。

携帯がないのだから、道中に聞く音楽は昔愛用していたウォークマンで。久しぶりに充電をして、使えることを確認した昨日があまりにも遠い気がした。音楽の趣味は変わらないでしょう、などと思っていたけれど随分変わっていた。変わらないという感覚はあまりにもグラデーションで、ポイントの幅を取らないと気がつかないものなのかもしれない。

「風に舞いあがるビニールシート」を手に眺める列車右側の車窓。───誰かが「ガタンゴトン」と口にしてしまったからこの音は、ガタンゴトンと鳴っている。わたしがそう名付けたかったのに───などという訳の分からない思考が、音楽のかわりに小説と共鳴していた。

懐かしい風景を連れてくる、ちいさな赤い列車に乗り換えて。正直に言うと、わたしは言葉よりもずっとまえから音楽に敏感だったと思うのだ。音が気分を左右するし、音で気分をあやつってきた。今日も、音のなる方へ心が向かい、雨だというのにこんなところまで来てしまったのだから。

突き抜けるほど青い空、と言いたかったが曇りのち雨。傘をさして歩くのはあまり好きじゃないけれど、レインコートは好きだ。一枚の布を介して雨と友達になれる気がしてくる。

光が少し足りなくたって、テントの下にはキラキラとした赤青黄色。純粋な「好きだ」が集まって、奏でられていく物語。

雨に疲れて雨宿りをする。ひとりで来てはじめて「ひとりで来ている仲間」がいることに気がつく。

体験しないと全部、分からない。場所が選んだ音楽か、音楽が選んだ場所なのか。どっちでも多分、いいのだけれど。

ただ、悪い流れを断ち切るために、いろんなものを置いてここに来た気がする。おもいっきり、深呼吸をして。目を閉じれば、たくさんの物語がわたしを呼んでいる。ていねいにつくられたものたち、衝動的につくられた音。だれかのためだけにつくられたかもしれない、このおいしい牛すじカレー。

───夢は、叶えるものか。叶えてもらうものなのか。

「自分の手で叶えるものよ」と彼女は言う。でも、どれだけ頑張っても、やっぱり最後の扉を開けてくれるのはだれかだと思ってしまうのだ。

だから、考える。わたしが誰かの扉を開けたときに、こっちにおいでといいたくなるひとはどんなひとか。いつまでも、そんなわたしを更新しようと心に決めている。夢は、叶えるものか。叶えてもらうもの、もあるといい。だって、わたしもだれかの夢を叶えたりしたいから。

わたしが旅に出る理由は、多分100個もない。けれど、100を軽く超える素敵な物語に、たしかに出会える。ピンキーなグァバを片手に、空にかざす。今日もわたしの手には美味しいドリンクがあって、知らない物語を探している。

ずっと昔から、こうしたかった。大好きなあの歌の歌詞のように、ずぶ濡れになっても笑顔で踊っていたかった。昔の夢を今日、わたしは叶えた。いいえ、この空間を用意してくれただれかたちによって、叶えられたものだといい。

方向音痴なわたしを何度も助けてくださった一瞬の出会い。改札を教えてくださったおばあちゃん、わたしが落とした路線図を拾ってれた女の子。帰り際、もうひとり乗れるからとタクシーに乗せてくれたおにいさんたち。おいしい、とパッタイを頬張るわたしに、「おいしいよね」と言ってくれたおねえさん。ひとりがさみしくない、とは言わない。でも、ひとりじゃないと知れない世界がたくさんある。

世界と会話をして思うことはやっぱり、「世界はいつもやさしい」ということだった。

来年は、何を忘れてここに来よう。悪い流れは、土砂降りの雨が流してくれる。もうすぐ現れる青い空に、きっとわたしは「今日もいい日」とか言ってしまうんだろうな。

読んでくださってありがとうございます。今日もあたらしい物語を探しに行きます。