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書くことは、思い出からの卒業。卒業して初めて居場所を持てるんだ。

別に旅人じゃないのにどうしてこんなに、いつも地面から2センチぐらい浮いてしまっているのか。風のようねと言われることが多かった1年、自分のことを考えるのは苦手だけど、大晦日だしもう一度この一年に会いに行こうと思う。

想像できてしまう未来に、私は立っていられない。

ただ、そんなことをずっと思っていた。いろんな人の人生に少しずつ足を踏み入れるのが好き。話を聞いたり、その人の人生を知ったり、話したり、一緒に笑って泣いたり。多分、誰かの人生に少しずつおじゃまして、その瞬間を精いっぱい笑っていたいのだ。いつも通った通学路にある信号機とか、大学生活でよく通った懐かしい食堂とか、そんな存在がいい。必要十分条件のような人間になりたいだなんて欲張りはない。でもあったかくて、思い出したらほっこりするようなもの。そんなものをずっと生み出していけたらいい、そんな感じ。

いつからそんなに書いているの、とも言われたけれど、実家にはもう何年も前から書き留めていたノートやファイルがどっさりとある。パラパラと開いて懐かしい。今の私に書けない表現だってゴロゴロとして存在し、もっと書いていたくなった。昔の自分に嫉妬さえする。後悔ではない。ただ、「きみ、その年でそんな背伸びしたこと書いちゃって」と明るくからかいたくなる。

その時感じた感情が全てだし、「楽しかったことに順位をつけて」とか「何が一番悲しかったか」などという問に答えるのは苦手だけど、今年は本当にたくさんの感情と(いい意味で)お別れをして、出会った年だったと思う。

書くことは、思い出からの卒業。
書いてやっと、整頓される。自分の中にすとん、と居場所をもって、無駄がなく綺麗に収まる。卒業は “永遠のさようなら” ではない。区切りをつけて脱皮すること。新しい自分としてスタートすること。

愛情と未練をちゃんとラベリングしたり、

色を付けれなかった過去にちゃんと色をつけたり、

友人の感情を一緒に更新したり。


そうやってたくさんの感情と向き合ってきた1年だったと思う。ああ、今年もいろんな感情と出会ったな。なんでこんな人生ハードモードなのよ!(勝手な自己評価)と神様に文句を言ってやりたくなることもあるけれど結局そんな人生が楽しくて、こうして書けているからいい。なんだって、楽しんだもの勝ちだもん。どんな矢が飛んできたって、例えばリンゴでそれを受け止めて、その切り口から美味しくいただけばいいんだから。

好きなものには超こだわるくせにどこかさっぱりしてる。静かに熱かったり、情に厚かったりするよねなどと言う人もいるし、冷たい人ね、と言う人もいる。
「私がこれにこだわり続けたら誰かが不幸になるかも」
と思った途端に自分から飛び立つ。というか綺麗なままにしておく、しておきたいと思ってしまう。あんなに好きだったのにどうしてそんなに物分りがいいの、と言われるけれど、多分これが理由である。本当は自分も思ってるよりずっと未練がましい奴なんだから!なーんてこともあるかもしれない。

この1年どうやって過ごそうとしたか、こっそり手帳に書いてある。2017年のはじめに決めたこと。

私なんて、て絶対に言わない。

失敗も、挫折だってかっこ悪くない。よくないのは、いつまでも負のオーラをまとって誰かが手をひっぱってくれるのを待ち続けること。どうあがいたって、なにをしたって、成功の基準を決める線引きを世の判断や評価としてしまう以上、最後の扉を開けるのは私ではない、他人。だから絶対に誰が見ても「おいで」って言ってもらえるような人でいること。

別にこれは誰かに評価されるためにどうこうしろよって話ではない。就職だって、仕事だって、恋愛だって、頑張るのは自分だけど最終の決定は他人や相手の手によって決められてしまうんだもの。それは夢見ていられるところではない、一生逃れられない現実だと思っている。

でもだからおもしろい、全然違うところからひょこっと扉が開いたりして、素敵な出会いが待っていたりする。それが絶妙にスパイシーでクセになったりするんだよなあ、たまらない。

風のように飛び回って、駆け回って、ときには消えちゃったりしてどうなることかと思ったけどなんとかいろんな扉をいろんな人に開けてもらったな、と思う。金言になんていつ出会えるか分からないし、落とし物は落とした所でしか見つからないわけじゃない。

いつまでも旅をしていたいと思った。心の旅なんて曲があって、私より先に生まれた曲なのにいつまでも頭から離れない。ああ、今夜だけは今年の全てを抱いて眠ろう。

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読んでくださってありがとうございます。今日もあたらしい物語を探しに行きます。