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べっこう飴の色うつり

「子どもができたんだ。」

小説が好きな彼女の口から紡がれた言葉だったから、私は一瞬小説に出てくるヒロインの親友Aになった気分でいた。深呼吸をして現実に戻ると、彼女は変わらない顔で続けた。

「おろすの、間に合うって言われた。でも、産もうと思うの。」

命が宿ったことを知ったとき、それ以外の選択肢はなかったらしい。キラキラしているのにどこか据わっている目の奥には、いつもに増して彼女の強い意志がみえた。

そっか、よかったね。いいと思う、おめでとう。

私たちの会話にネガティブな言葉が飛び交うことはない。お互いに、お互いの意見を聞いて変わることはないと分かっていたし、多分答えは見えているけど物事の整理のために相手にはなす、そんな感覚だったからだ。私はこれを親友と呼び、同志と感じている。

彼女と初めて会ったのは私がまだ学生だったころの廊下で、彼女の持つ小説が輝いてみえたのが始まりだった、そんなことくらいしか覚えていない。今となっては彼女とどうして仲良くなったのか、正直よくわからない。ただ、昔も今も変わらず私と彼女を繋ぐのは本が好き、という共通点である。

お互いに社会に出て、頻繁に会えなくなっても、ふとした時に彼女の存在が私を奮い立たせていた。がんばれと言わない肯定を教えてくれたのは、多分彼女なのだ。

彼女と出会ってもう10年も近い。結果、彼女は命を諦めた。そんな彼女は今、何を感じているのだろうか。今でも若い母親と小さな子供を見ると、あの日のことを思い出す。今日さようならしてきたよ、という報告。多分誰もどうしようもなかったけれど、それでも無力さが私の心を覆って仕方なかったのだ。

いつの日か、砂糖と水でつくったべっこう飴。透明だったそれが、色づきはじめるまでには思っているより時間がかかるのに、変わり始めてから焦げるまでは一瞬だった。少しでも作ってしまった焦げはもう元には戻らなくて、少しさみしくなった。

彼女は何も言わない。あの日のことを、今は何も言わない。ただ手に取るようにわかるのだ。あの日、彼女は傷ついた。飴の焦げが、本当に少しだけ、多分近くで見ないと分からないかもしれないけれど、そこにあるのだ。

どうしてもやりきれなくなると、彼女に会いたくなる。彼女の苦労を、私は知らない。彼女の抱えている闇を知ることができても、感じることまではできない。でもだから、私は彼女という存在をいつまでも大きく心のなかで保っているのだ。会う頻度でもなく、過ごす時間でもなくただ、私には知らない何かをいつも持って、感じて、戦っている。

神様がいるならどうか、と願うのは彼女のあの出来事から救うこと。あの日を境に彼女が失ってしまったすべてのものを埋めることができるものなんて、ないと分かっているけれど。私がいつまでも本を読んでしまうのは、小さな焦げを戻す方法を知りたくて、そしてあの日の彼女の気持ちにどうしても名前をつけて楽にしてあげたいからなのかもしれない。

でも同時に分かっていることは、彼女はその焦げさえも愛おしく思っているということ。私がするべきは、それを包み込んで華やかにする包み紙をそっと添えることなのかもしれない。

彼女と私をつなぐ本を読みながら、今日も私は探すんだ。彼女のもつ琥珀を、最高に輝かせるやさしい言葉を。

#小説 #エッセイ #友情 #恋愛 #本

読んでくださってありがとうございます。今日もあたらしい物語を探しに行きます。