僕たちが諦めきれない「ヒーロー」について話そうと思う
そのとき歴史は動いた、と彼女はTシャツの裏に堂々と記した。真っ赤なそれに記された白は誰がみてもまっすぐで、眩しかったに違いない。ヒーローについてわたしが書いたことをふと思い出して、懐かしくなった。
よく言うけれど、大人になってからの日常というのはわりとうまくできていて、まわりの平均値が「自分」になっている。わりとよく、そう思う。だからわたしにとって芸術に触れることはすべての自分の壁を壊すための破壊活動ともいえるし、チャレンジとも言える。だから、わざわざ知らないところを覗いて苦しくなりにいくなんて、なにやってんだよなあ、とたまに思う。でも、そうでもしないと境界線はどんどん自分へと狭まり続けるし、結果何も見えなくなる。えっと、じゃあそれっておもしろいんだっけ?
すぐ決められるほど若くない———その言葉をずっと、ただの甘えだと思っていたけれど、そうでもないらしい。たしかに、歳を重ねるたびに責任が増えて、手札が増えて、いろんな選択肢がみえるようになる。「〇〇だったパターン!」「〇〇なパターン!」と汗を飛ばしながら叫ぶシーンで、コメディなのに全然笑えなかった。正直苦しかったよ。「〇〇のパターン」って出されるだけ出されて消えていった選択肢がこの数年で多分たくさん浮遊してしまっていて、悲しむ間も無く消失したものが数えきれないほどある。
舞台に立つってどんな気持ち?全然わかんないや。観客の吐息まで巻き込んだり自分1人だけになったり、照明とか人とか演者とかいろんなものをまるっと取り込める、そういうのがリアルな舞台の良さなのか?そうだよな、それ以外にもいっぱいあるだろうけど、わたしはこうして毎度引き寄せられているよ。コメディのはずなのに全然最後笑えなくて、涙が止まらなくて、きみがヒーローに見えたから。
自分を更新したい、と彼女はいう。私にとっての「好奇心をいつも超えていきたい」っていうのと似てるかな。でもそれって本当にゴールがないからこそ溺れそうになるし、落ち込むこともあるし、しんどいよな。でもその分最高!って思うことも人より多いかも、ってたまに思うよ。傲慢かもしれないけどね。やりたいことと、好きなことと、ちょっとずつ違っても、その時に感じる絶対値だけを指標にして測れば、きっとこれからも、もっとうまく行く気がするよ、青いかな。
いつまでも追うよな?この夢。いつまでも貫くよな、この過剰なまでの正義。理不尽なんて死ぬほどあるけど、ヒーローが傷だらけであることを、わたしたちは苦しいほどに知ってしまっているもんな。笑えるほど変わってないわたしたちの青すぎる正義は、あの頃私たちが目指した「大人」そのものだよ、絶対。