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死んでもなりたくなかった、専業主婦①

死んでもなりたくなかった専業主婦になった経緯と、なってからを何回かに分けて書いてみる。


死んでもなりたくなかったが

死んでもなりたくなかった専業主婦になってしまった。
あれは多分2008年だか2009年だか。
正しくは、傷病休暇。第二子妊娠中の切迫早産で、休職したのがきっかけ。

そう書くとネガティブに見えるが、実際は望んだことだった。
第一子(長男)のために仕事を辞めたい。
そう考えていた最中のことで、不謹慎ながらも「これで長男のそばにいられる」と思ってしまった。

10歳になる前から「死んでも専業主婦にはならない」と思っていたわたしが、20代ですっかりワーカホリックな仕事人間になっていたわたしが、
「専業主婦になったるで」と決意し、楽しんでいく過程を数回にわたって書いてみる。

極度のさみしがり屋

長男は、極度のさみしがり屋だった。
さみしがりという表現は適切じゃないのかもしれない。
出すところに出せば、なんかの診断がきっと付いたんだと思う。
「どんなお子さんでも任せてください!」と豪語した保育歴20年のベテラン保育士さんが、「どうしても泣き止まないし寝ません、お母さんどうしたらいいですか?」と訴えてきたし、
保育歴30年を超える園長先生からも「こんな子は初めてです」と言われる始末。
それを、預けた当初は全く気にしてなかったんだから、わたしもなかなか鈍感な母だった。

わたし、めちゃいい親やん。この子、恵まれた子やん。

後から思えば、赤ちゃんの頃から過敏だった長男。
生後1ヶ月頃にはわたしがいないと泣き叫んだし、3ヶ月には誰にも預けられない子になっていた。
そんな子をよくも保育園に預けたなと思うけど、そんな子だったからこそ1年の予定だった育児休業を1年半に延ばして、当時会社の制度になかった「スーパー時短勤務」をなんとか認めてもらって9-15時の時短を取り付けて、満を持しての復職だった。

当時のわたしの自己認知は、こう↓

「普通は1年、早ければそれより短く復帰する人も多い中、1年半もじっくり子どもと向き合った」
「普通は会社の制度に従っての時短勤務になるんだろうけど、がんばって交渉したから明るい時間に子どもを迎えに行ける」

そんな自分を誇らしく思っていたし、そこまでしてもらえるうちの子って幸せな子だなと疑ってなかった。
まさに「わたし、めちゃいい親やん。この子、恵まれた子やん。」と思っていた。
1年半経って復職する時には、正直言って全く後ろ髪を引かれることもなく、意気揚々と保育所に連れて行ったのであった。

が、そのおめでたい思い込みは早々に打ち砕かれることとなる。


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