引っ越さない日々

三男子の母として、嫁として、フリーランスとして 四苦八苦してきた・し続けている過程を書…

引っ越さない日々

三男子の母として、嫁として、フリーランスとして 四苦八苦してきた・し続けている過程を書いていきたいと思ってます。 #フリーランス #チームビルディング #PMO #ワークショップ #ファシリテーション#三人兄弟 #義実家同居 #まざるをあそぶ

最近の記事

死んでもなりたくなかった、専業主婦③

「死んでもなりたくなくなった」話のつづき。 強化される忌避感経済的な理由以外にも、専業主婦を忌避した理由がある。 私が目にしてきた、専業主婦のみなさんの姿である。 今でこそ離婚も非婚もさほど珍しくなくなってきたけれど、 当時は、特にわたしの育った田舎ではかなり少数派だった。 今以上にそうすることへの批判的な視線が強い時代だった。離婚を「我慢が足りない」「だらしない」「子どもがかわいそう」とあからさまに批判をされる空気があった。 母は、その近所で唯一のシングルマザーで、し

    • 死んでもなりたくなかった、専業主婦②

      自分のことをいい母だと思い込んでたイタい話は一旦傍に置いて、なんで専業主婦に「死んでもなりたくない」と思うようになったかの話を。 死んでもなりたくなくなった話。要はわかりやすい話で、私がシングルマザーに育てたから、なんだけど。 それによって体験した経済的困難と、 それと同じかそれ以上に、強烈に私に染みついた「専業主婦」のイメージの話を。 メイド・イン・シングル家庭わたしと年子の弟が小学校低学年の頃、両親が離婚した。 父が出ていき、母とわたしたち姉弟はそれまで住んでいたアパ

      • 死んでもなりたくなかった、専業主婦①

        死んでもなりたくなかった専業主婦になった経緯と、なってからを何回かに分けて書いてみる。 死んでもなりたくなかったが死んでもなりたくなかった専業主婦になってしまった。 あれは多分2008年だか2009年だか。 正しくは、傷病休暇。第二子妊娠中の切迫早産で、休職したのがきっかけ。 そう書くとネガティブに見えるが、実際は望んだことだった。 第一子(長男)のために仕事を辞めたい。 そう考えていた最中のことで、不謹慎ながらも「これで長男のそばにいられる」と思ってしまった。 10歳

        • 【はじめてのnote】『こんなはずじゃなかった』の記録、はじめます

          引っ越しが好きだった 引っ越しが好きだった。 好きというより、あまりにも身近で当たり前のことだった。 学びたい場所、働きたい場所、好きな場所、 一緒暮らしたい相手、望むライフスタイル、 そんなものに合わせて、住むとこなんてその都度選び直せばいい 何度でも引っ越せばいいと思っていた。 それが、オットの実家に引っ越してきてかれこれ19年。 私にとって恐ろしく不本意だった、家や土地に縛られる暮らしも19年。 子どもの頃から「どう考えても嫌だ」と思っていた義父母との敷地内同居

        死んでもなりたくなかった、専業主婦③