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死んでもなりたくなかった、専業主婦②

自分のことをいい母だと思い込んでたイタい話は一旦傍に置いて、なんで専業主婦に「死んでもなりたくない」と思うようになったかの話を。


死んでもなりたくなくなった話。

要はわかりやすい話で、私がシングルマザーに育てたから、なんだけど。
それによって体験した経済的困難と、
それと同じかそれ以上に、強烈に私に染みついた「専業主婦」のイメージの話を。

メイド・イン・シングル家庭

わたしと年子の弟が小学校低学年の頃、両親が離婚した。
父が出ていき、母とわたしたち姉弟はそれまで住んでいたアパートにそのまま残って暮らすことになった。

男女の学歴も職歴も、今よりキッパリと別れていた時代。
尚且つ田舎。
ただでさえ、女性が男性同等の収入を得ることが難しい中、
高卒で、子どもを抱えた母は、当たり前のように困窮した。

当たり前に困窮

父の名誉のために言っておくと、養育費は滞りなかった。
それでも。

年子の私たち姉弟を出産して育てるために、当時としては当然のごとく、母は仕事を辞めている。
私たちが3,4歳になった頃には仕事をするようになっていていたが、あくまで「生活の足し」の範囲で、食べていけるほどではなかった。

一人で子どもを養うことになり、食べていくための職を探しても、
当時の田舎に女性の正社員の仕事は珍しいし、あったとしても給料は安い。
その環境下で、高卒でブランクがあり、子どもがいるから働ける時間にも制限がある母にとって、生活に十分な収入を得ることはとても困難だったと思う。

母はいくつか職を変えたが、どの職場も少ない給料だった。
母が身を粉にして働いても、父の収入には遠く及ばなかった。

小学生ながらに給料と養育費の額を知らされていた私は、
子どもながらに家計の計算をし、
学校の集金がある日はため息をつく母の背中をみて、
それなりにシビアな金銭感覚を手に入れた。

父はちょっとクセのある人で、
離婚後もやり取りが続くことは母にとっては苦痛だっただろうが
養育費のために我慢していたのだということは、想像に難くない。

手足をもがれるのと同じ

そんな母を見て育った私は
女性が職を得ることのシビアさ
一度職を失ったら再び得ることの難しさ
さらに、誰か(夫)の収入を頼りにすることの恐ろしさを痛いほど感じていた。

大人になったら、
絶対にしっかり稼げる職を得ること、
それが得られるような人になること、
絶対に誰かの収入をアテにしないこと、
自分と、自分の子どもと、自分の親を養えるぐらいは稼ぐこと。

難く心に誓った。

そんな私にとって、職を失う/手放すことは
手足をもがれるのと同じくらいの重たい意味を持つことになった。

(つづく)

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