見出し画像

逆ジェンダーギャップ

どこかの記事で読みました。「女性は本当に男女平等を望んでいるのでしょうか?」と。

それから考えていました。なるほど、確かにわたしが望んでいるのは男女平等じゃないかもしれない。それではあまりに綺麗事だったかもしれない。うん、そうだ。わたしが望んでいるのは男女平等の社会じゃなくて、ジェンダーギャップが逆転した社会だ、と思い至りました。男尊女卑が女尊男卑になった社会。これを見てみたいです。

男女平等やジェンダーギャップゼロを目指して、果たして本当に平等に辿り着けるのでしょうか。一方に偏った世界の視点でつくられた"平等の基準"を目指しても、決して平等にはならないと思うのです。いまのジェンダーギャップが逆転したときに初めて、目指すべき平等の姿が見えてくるのではないでしょうか。

女性が不平等と声をあげたとき、男性はこう言います。「そんな小さなことぐらいどうでもいいだろ」と。いいえ、よくはありません。わたしは、名前順がどうしていつも男性からなのかとか、そんな些細な男性の特権まで全てがマルっと女性の権利に逆転した社会を生きてみたいです。いまの男女の立場が逆転するだけでいいんです。いま男性が持っている以上の特権を求めている訳ではありません。男性に参政権があっても良いし、自分の名前で銀行口座を開けられてもいいんです。
ただ社会的地位も、給与も、家庭での役割も、全部が逆転したら、どんな社会になるのかを見てみたいです。そのときにも男性は男女の差について「そんな小さなことぐらいどうでもいいだろ」と言うのかどうかを見てみたいです。
男女の身体の仕組みを逆転したいわけではありません。むしろ子供を産めるのは女性のままで、政治家や企業の管理職の男女比が逆転した社会になったとしたら、どんな制度が生まれるのかを見てみたいのです。


こんなことを言ったら怒られそうだし、性格や倫理観を疑われてしまいそう。でも本当に、そんな社会になったら、どうなるでしょう。興味があります。ジェンダーギャップ指数が逆転している国は、まだ見たことがありません。実現したらどうなるでしょう。今まで当たり前だった価値観や、みんなに見えている世界がガラリと変わって、良い方向を模索していくきっかけになるのではないでしょうか。逆の立場になることで、わたしが気づいていない、社会から押しつけられた男性だけの辛さというものも味わえるかもしれません。


でも逆ジェンダーギャップが実現するのは、とても難しいことだとわかっています。男女差別が生まれる一番根本の原因が、『腕力の差』にあると思うからです。もしも女性の腕力が男性よりも強かったら、人が変わり、歴史が変わり、社会が変わり、全く異なる世界になっていたのではないでしょうか。知性や感性、人間性などの優劣に比べて、腕力の”圧倒的にわかりやすい強さ”は、社会や人格の形成に多大な影響を及ぼしていると思います。

メスの方がガタイの良い昆虫や動物を見ていると、彼らは一体どんな社会を築いているのだろうか、と空想します。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?