いろいろなカップルのあり方
先週の土曜日、久しぶりにMをうちに招いて一緒に夜ご飯を食べた。ついつい連絡不足になってしまって、Mに会うのは去年の暮れに彼の誕生日会に呼んでもらって以来だった。
さて、なにを食べよう?
そういえば、お気に入りのイタリア料理屋さんでこの前食べたサーディンとサフランのパスタがとっても美味しくて記憶に残っている。干し葡萄と松の実が入っていて、サフランの独特な芳雅を引き立てる干し葡萄の甘みと松の実の香ばしさ、そこにサーディンの旨味が混ざり合い、非常に印象的な組み合わせだった。
ちょうど家にサフランが残っていたはずだと思い出し、パートナーにお願いしてサーディンとサフランのパスタを作ってもらうことにする。
全く同じでは面白くないので、近所の八百屋さんで見つけた旬の甘長とうがらしとすごく甘い玉ねぎを合わせてもらう。私はあまり料理をしないけれど、注文するのと食べるのは得意だ。
エピスリーで赤ワインを一本、それに確かMは白が好きなはず。白ワインも一本買って冷やしておく。
Mと知り合ったのは今から5年前。
ヨーロッパのとある国からパリへ留学に来ていた彼に、どうしてパリに来ることになったのか尋ねた。その時に教えてもらったエピソードが今でも忘れられない。
パリの名門映画学校フェミスは毎年外国人向けの映像製作夏期講座を開講している。奨学金が支給され、フェミスの寮に滞在できるこのコースは十数人しか登録できない狭き門だ。外国人向けのコースだが、講座は全てフランス語で行われるため、フランス語での読み書き会話力が求められるのだが、フェミスは映画の国フランスにおいても1、2を争う超有名校とあって世界各国から希望者が殺到する。
偶然この講座を知ったM。申し込み期限ギリギリだったけれどなんとか書類提出に間に合い、無事、最終面接に至る。
ところが当時のM、実はフランス語は全くわからない。
さて、あなたならどうする?
Mは事前に試験官の質問を予想し、その回答をフランス語で用意して、全て丸暗記することにした。
果たして試験当日、試験官はMの予想した通りの質問をする。回答を丸暗記していたMは無事に最終面接を通りフェミスの夏期講座に登録することができたのだった。
夏期講座修了後、パリ大学の大学院に進学しようと思ったM。しかし大学院に入学するにはフランス語能力テストC1が必要だとわかる。ちなみにC1はかなりの上級者レベルだ。
Mはフランス語のテストなど受けたことがないし、今から試験勉強などしても間に合わないだろう。ところが学校に問い合わせると、すでにフランスの高等教育機関を修了している場合、フランス語能力テストの証明が免除されると教えられる。
フェミスでの夏季講座が実績として認められ、お陰でMは一切フランス語を勉強することなく無事にパリ大学大学院へと入学を果たし、今もパリに住んでいる。今ではもちろんフランス語はペラペラだ。演劇の道に進んだ彼は、ヨーロッパを駆け回って働いている。
なんと言っても面接官の質問を完璧に予想できてしまうのがすごいし、未知の言語を話す面接官相手に丸暗記だけで乗り切れてしまうのもすごい。
肝っ玉が座っているところが好きだ。
なにかをやりたいと決めて一歩動くと思いがけない方法がみつかったり、誰かが助けてくれたりするものだよなと、ふとこのMのエピソードを思い出すことがある。
なんとかなってしまうのが人生なのだ。
Mはとても優しく知的な男の子で、話が尽きず時間を忘れ楽しい夜を過ごした。でも悲しくなる話もあった。
パスタを食べながら滞在許可証の話になった時のこと。
「あれ?言ってなかったっけ?PACSしたんだよ!」とMに告げられる。
「あー!誕生日会の時に紹介してくれたあの彼氏だね!おめでとう!!!」
パーティーなどはしなかったけれど、新婚旅行と称し2人でイタリアへ行き、この夏初めてパートナーの両親の家へ遊びに行くという。
「PACSはしたけどまだ向こうの両親には会ってなくて」と苦笑いのM。
「Mの両親にも紹介したの?」と尋ねると、
「いいや」と悲しそうな顔で答えるMを見て、自分の質問を後悔した。
なんと言ってよいのか、わからなくなった。
Mはゲイだ。Mの国では同性結婚が認められていないのはもちろん、同性愛者に対する風当たりは強い。両親もMがゲイだとは知らない。
Mの国に遊びに行った時、実家に泊めてもらって彼の両親と一緒に過ごしたことを思い出した。本当に優しく仲の良い家族で、Mは温かい家庭に育ったんだなあと嬉しく思った。
私が遊びに行ったあと、マンションの管理人さんから「息子さん、素敵な彼女ができたのね!」と言われたのよと、お母さんが嬉しそうにしていたとMは言っていた。
仲の良い両親だけど、自分がゲイであることは話せない。PACSをしても嬉しい報告をすることができない。近しい人に、自分にとって大事ななにかを隠しながら話さなくてはならないと言うのは、とても苦しいことだと思う。Mはどんな気持ちだろう。
想像することしかできないけれど、とても辛いことだと思う。
性的指向やマイノリティーに対してだけでなく、あらゆる差別や偏見がなくなってほしいと思う。でも差別や偏見は私の中にも確実にある。
「差別には反対だけど〜」「私は差別なんかしないけれど〜」という前置きをしながらこちらが腰を抜かすような差別的な発言をする人の多さからも、自分自身が差別をしていると認識することがいかに困難なことかとわかる。だからなかなか変わらない。
それに時代や教育の影響もあるだろう。少しづつ時間をかけることでしか動かせないものもある。価値観や常識、思考や条件反射はまさにその好例だ。
私も含め、差別をしているとき、私たちは差別をしていることにも気づいていない、それくらい自然な反応に差別が含まれていたりする。
せめて「自分だけは差別をしていない」と思い込まないように注意を払うこと、間違いがあれば認められるよう心がけることは忘れたくない。
楽しい夜を過ごしたあと、そんなことを考えていた。
久々に会えた嬉しい余韻と同じぐらい、なんともいえない焦燥感も残った。PACSをしたって嬉しい報告のはずなのに、そこに一瞬の影が差すことに行き場のない不当さを覚える。
「そういえば最近日本で選挙があったんだけど、同性婚に対して唯一否定的な姿勢だった政党が勝ったんだ」とMに言うと、
「同性婚に否定的だから勝ったんじゃないの?」と言ってMは笑った。
そんな冗談とも取れない冗談が通じない世の中になってほしい。
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