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パートナー、日本語講座始める

隣りでカリカリカリとノートに書き綴っているパートナーが「こんなもん覚えられるかー!」と声を上げノートを投げ出す。

「どうして3種類もアルファベットがあるの?」
「なんでひらがなだけで46文字もあるの?」
「どうして”こんにちわ”って発音するのに”こんにちは”って書いてあるの?」


前々から日本語を習ってほしいと思っていたけれど、語学にしろなににしろ押し付けられて学ぶ気になるでものでもなし。何事も本人の自主的なやる気がなければ身につくものではないよなと半ば諦めかけていただけに、日本語学校の集中講座に申し込んだと言われた時は嬉しかった。

耳の良い人だし、第2言語の英語はペラペラ、学校で習ったというドイツ語とスペイン語も旅行に困らないくらいには会話が可能。
第2言語、第3言語、第4言語と学ぶ言語が増えるほど勘所がわかるようになり習得が容易になってくると何処かで読んだことがあるから、日本語だってそんなに苦労せずに学べるのではと思っていた。


ところがどうにも苦戦している。何度も書いてみたところでひらがなとその発音が結びつかないと言う。テキストに書いてある「おはようございます」を読むのにも、ひらがな表を横に置いて一文字づつ照らし合わせて暗号を解読するように読んでいく。ノートに自分でも「おはようございます」と書きつけるのだけれど、次の日に見るともう自分がなんと書いたのかさえ覚えていない、自分の書いた言葉が読めないと意気消沈している。


とは言ってもまだまだ習い始めたばかり。日本人だって生まれつき日本語が書ける訳ではない。幼稚園や小学校で何度も書き方の練習をさせられて身につけたのだ。だから覚えるのに時間がかかるのは普通だよ。と慰めてみるものの、英語の時はこんなに苦労しなかった。新しい単語だって書いたりしなくても一眼見たら覚えられた、と言う。
母国語と同じアルファベットを使う言語を学ぶと言うのはそんなにも簡単な事なのか?それともよっぽど記憶力が良かったのか、若さの力だろうか。
私は学校の授業の中では英語が一番苦手で、ひとつの単語を覚えるのに何度も何度も繰り返し書かなくてはならなかった。
でも例えばひらがなだけで構成される全く別の言語が存在したら、特別苦労を感じることもなく一眼見るだけで単語を覚えてスラスラ習得してしまえたのだろうか。


隣りにいる彼の頭の中へ、未知の知識がどんどんと運び込まれていっている最中なのだなと思うと、一緒に知らない場所を旅している気持ちになる。
砂浜に落書きをするように、hiraganaという未知のアルファベットを刻みつけるのだけれど、いまはまだ波にさらわれてすぐに消えてしまう。これから何度も何度も書きつけているうちに、いつしか暗号でしかなかったひらがなが思いの丈を綴るための親しい言葉になるのだろう。


などと私は呑気に考えている。だって語学を習得するのに時間がかかるのは当たり前だと思うから。10回「あ」と書いたくらいで覚えられないのは当然だろう。でも「い」だけは覚えたと言う。とにかくまず1文字覚えたのなら、それで良いではないか。気長に楽しく。
画用紙の一辺から他辺へ向かって丁寧に一面を塗りつぶしていくのではなくて、わかるところからこだわらず色をつけていく。初めはまだらだった記憶の点が次第に繋がって絵が浮かび上がるように、いつか言語の体系的な仕組みが自然と立ち上がってくるはずだ。


しかし当の本人は酷く苦労しているようで、覚えられない、覚えられないと繰り返している。普段温厚な人だからイライラしているのは珍しい。これまで語学を学ぶのに苦労したことがなかったから、覚えられないと言うことに驚きと軽い挫折を味わっているのかも知れない。


挫折といえば2年前、彼にチェスを教えてもらったときのことを思い出した。
私は小さい頃トランプやボードゲーム、パズルの類いが得意で、複雑なルールを覚えるのは簡単だし頭を使うゲームには強いという自負があった。

ところがチェスは難しい。子どもの頃に覚えたというパートナーに全く歯が立たない。相手の術中にまんまとハマってしまう。無限に可能性があるように見えて一手先すら読めない。相手に自分の考えていることを読まれているのが悔しい。
マリオカートで負けても痛くも痒くもないけれど、チェスで負けると知能で負けた気がして悔しさを通り越して怒りが込み上げて来る。自分がすごく負けず嫌いだと言うことを久しぶりに思い出す体験だった。
初心者が負けるのは当然で、負けながら覚えて行くものだと言われたけれど、自分が得意だと思い込んでいた頭を使うことで序盤から鼻を折られ続けるのに我慢がならず、チェスは続かなかった。


ひらがなが覚えられなくて苛立つのも似たよう気分なのだろうかと想像する。初めは難しい。だから負けながら覚えていく。

ある程度の年齢になると、負けることとか出来ないことへの耐性は薄れてしまっているが自分はできるという自負はある分、前は簡単に身についたことなのに今では苦労してしまうということに愕然とし自分自身に苛立ってしまう。しかしここを越えないことには新しい言語を学ぶ楽しさも味わえないだろう。

こちらでよく出会う日本の漫画やアニメの大ファンのフランス人たちは、自分の好きなものを理解したいと言う並々ならぬ情熱で独学でも日本語に詳しかったりする。オタクというと嫌煙されがちだけど、オタクの情熱のエネルギーには本当に純粋に感心し、羨ましく思う。『のだめカンタービレ』で、のだめがプリごろ太のアニメを見続けて一夜にしてフランス語をマスターするエピソードが好きだ。こんなふうに外国語を学べたら最高だ。


日本語の読み書きは難しいけれど、会話は意外と簡単だと思う。
とにかくテキストのひらがなを読めるようになれば授業中に迷子になって途方に暮れることもなくなるはず。そうして段々と日本語を学ぶのが苦痛ではなく面白いことになっていってほしい。

だからひらがなとカタカナを覚えたら、漢字という永遠に続く長い長い道のりがあるのだよ、とはまだ言わない。


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