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『でもやっぱり、七尾が大好きだから。』―おでん串あげ灘インタビュー

能登半島の中心に位置する七尾駅から5分ほど歩くと見えてくる、にぎやかな飲食店街。その一角に「おでん串あげ灘」は佇む。

2024年1月1日に起きた「令和6年能登半島地震」により店舗は被災をし、今なお(2024年3月3日現在)営業を再開できないでいる。

それでも、マスターの廣瀬智博(ひろせともひろ)さん、女将の廣瀬絵美(ひろせえみ)さんは、「七尾が大好きだから」と笑顔で語り、営業再開に向けた1歩を踏み出そうとしている。

そんな2人に今の想いやこれからの展望について伺った。

能登半島は本州北側、真ん中あたりから日本海に突き出している。
七尾(石川県七尾市)は能登半島の中心部に位置する。

「おでん串あげ灘」の人たち

写真右:廣瀬智博(ひろせともひろ)さん
灘のマスター。1972年生まれ。石川県七尾市出身。高校卒業後上京し、青山学院大学へ入学。大学卒業後は伊豆の下田駅前でアジアン雑貨店を創業。その後、父親の死をきっかけに母親の小料理屋を承継することを決意。石川県調理師専門学校、金沢の老舗料亭「山乃尾」、東京都のダイニングレストランにて調理技術を習得。2015年に「おでん串あげ灘」を承継。4年後の2019年に2店舗目である「あおカフェ」をオープン。現在は、店舗営業に加え、オンライン通販などの新規事業にも取り組んでいる。

写真左:廣瀬絵美(ひろせえみ)さん
智博さんの奥様であり、灘の女将。1975年生まれ。東京都葛飾区出身。短大卒業後、都内の総合商社に入社。毎週訪れていた静岡県下田で智博さんと出会い、2000年に結婚。現在は「あおカフェ」でメニュー開発や自家製ラボでの発酵食などのワークショップ、「おでん串あげ灘」での女将業務や日本酒の会の企画運営を担う。「あおカフェ」と「おでん串あげ灘」を「遊び場」として活用すべく日々楽しみながら邁進中。

自分の一部みたいな、そんな感じ。


———「おでん串あげ灘」はどんなお店ですか?

智博さん:自分の一部みたいな、そんな感じ。長い時間店のことを考えている。1日を通しても。何が必要かとか、これからどうしていきたいかとか。

灘のマスター、廣瀬智博さん。

———そもそも、料理人になろうと思ったのはどういう理由からなんですか?

智博さん:料理の世界だと個人のアイデアとか技術とかでいろんな展開をつくれるので、可能性をすごく感じている。自分の母が料理屋をしていたし、自分にも馴染みがあるから。

まちの人に喜んでもらいたい。

———その中でも、「おでん」と「串あげ」を屋号に掲げたんですね。

智博さん:七尾に戻って来るときに何が良いかなと思っていたときに、東京で串カツ田中さんがすごく流行っている時期で。

立ち飲みという形態も流行ってきたりもしていて。

それがすごく新しいなと自分の中で感じて、七尾にもこういった立ち飲みする文化みたいなのを持っていったら良いなって。

まちの活性化とかそういうのも考えて、まちの人に喜ばれるかなとも思ったし。

店内の様子。立ち飲みができるカウンターもあります。

母のお店を継ぐというところから、母のお店もおでんが売りだったので、それにプラスアルファというところで考えると、おでんは冬のイメージで、串あげは夏のイメージがあるので。

先代から受け継いだ味であるおでん。

好きなのかな、能登が。


———七尾に帰ろうと思ったのはどうしてなんですか?

智博さん:七尾ですごく楽しい10代を過ごしたから。

街中で走り回って遊んだりもした。思い出がたくさん詰まっている場だったし。好きなのかな、能登が。

よくデパートの中で鬼ごっこして、エスカレーター逆走したりとか、婦人服売り場の中で隠れたりとか、そんなの普通にやっていて誰からも怒られなくて(笑)

いろんな面でアドベンチャーな感じでしたね。

———料理人としての夢を教えてください。

串をあげる智博さん。

智博さん:やっぱり、人に喜ばれるというのは前提ですよね。サプライズがあるような料理を。

東京から持ち帰った味である串あげ。

店であって店でない、みたいな。

味噌をつくるえみさん。
えみさんは灘のマスター(智博さん)の奥様でもあります。

———えみさんにとって、「おでん串あげ灘」はどんなお店ですか?

えみさん:遊び場というか実験の場所というか。何かが生まれるかもという場所というか。

えみさんの故郷。

———遊び場、面白い表現ですね(笑)

えみさん:私の思考的に新しいところに行ったらそこで何が楽しそうかなとか。

何かするときに、一緒に楽しんでいる人とか、次何やろうかみたいにワクワクしている人がいないと結局楽しくないので。

そういうお客さんたちと一緒にご飯を食べながら会話をしたり。

———今後の「遊び」の展望を教えてください。

えみさん:誰かが何かがこの場所でやっているところを見たいという気持ちが最近はあるかな。灘を使ってね。

店であって店でないみたいな感じにもなっていくのかなとか。

でも、立ち止まってはいられない。

———今、七尾はどんな状況なんですか。

被災した能登。

智博さん:屋根にブルーシートがかかっていたりとか、家が取り壊されて更地みたくなっていたりとか、瓦礫がそのままになってたりとか、被災証明の紙が張ってあったりとか。断水は続いている。徐々に通ってきているところもある。

港とか海の近くにいくと道が凸凹になっていて、全部もとに戻るまでにすごい時間がかかるだろうなと。

震災直後の灘の店内。

———どんな日々を過ごされているんですか?

えみさん:なんかすごく考えなきゃいけないことはあるけど、やらなきゃいけないこともいっぱいある。

でもそろそろ支援をして動くというのは終わりって言ったらおかしいんだけど、やっぱ私たちも生活していかないといけないから、そこでお仕事として動いていくということもやっていきつつ。みんなそうだと思うんだけど。

(支援に頼り切りになると)経済が回らなくなっていくでしょ、食べ物屋さんもスーパーも、物を売って商売している人たち。サービスもそうだよね。

そこらへんのバランスを見ながら。

智博さんとえみさんに選んでもらったお気に入りの1枚。

次に進んでいかないと。


———今の心境を教えてください。

智博さん:次に進んでいかないといけないのかなという。

えみさん:地震があってもなくても永遠にやっていけるわけないんだから、なんかそういうきっかけをもらえたとポジティブに捉えるようにしているかな。

半年1年後を予測しながら「じゃあ5年後10年後はどうする?」という話を逆にこのタイミングだからできる。

七尾の人のパワーの源であるデカ山

でもやっぱり、七尾が大好きだから。


———今後の展望を教えてください。

智博さん:これまでと同じようにお店を開店したからといってすぐに元に戻るという認識はないので。

七尾がどうあることが自分にとって幸せなのかとか、今後どうしていきたいのかとかを改めて見つめ直せたらと思います。

でもやっぱり七尾のことは大好きだから、七尾にとってメリットのある動きはしていきたい。

店内にも飾られているデカ山の手ぬぐい。

新しい挑戦としては通販を始めていて。
(通販を通して、)七尾に来ればこんなに美味しいものを食べれるんだよということを発信していきたい。

七尾に行ってみたいというきっかけをつくれたりとか、行ってみたら住んでみたいなという人が増えたりとか、そういう活動を強化させていけたらなと思っています。

自分たちも楽しみながら、いろんなところへ。

えみさんが企画・運営をしている日本酒の会。

えみさん:灘とか七尾とか、そういう地域の食材とか自然とかをバックグランドに持ちながらいろんなところに出ていきたい。

美味しい七尾の食べ物を通して、自分たちも楽しみながら提供していけるのではないかと思っていて、あとはこれをどう実現していけるかというところかな。

———お忙しい中、インタビューのお時間をいただきありがとうございました!


店舗情報

⏰営業時間| 18時~22時
☎️電話番号| 090-2494-3183
⛳️住所 | 石川県七尾市大手町135-1

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【Interviewer】
小野崎邦彦(おのざきくにひこ)
2000年生まれ。茨城県出身。茨城大学4年。大学在学中に休学をし、石川県七尾市のまちづくり会社にて長期インターン、「おでん串あげ灘」にてアルバイトに取り組む。地域や人の「らしさ」が好きという気づきから、2024年の4月からはHR系のIT企業に就職予定。



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