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どこにいても2人いれば人間関係が出来るのだ

【これまでのあらすじ】
「宗教二世」として育てられた私。しかし現実社会の中で信仰の矛盾を感じ、メンタルを病んでしまう。のちに発達障害とわかり、現在は信仰とも家族とも離れて、生活保護を受けながら生き方を模索する日々。
そんな中、首に正体不明のしこりが出来ていることに気づき病院へ。さらに検査する為に入院・手術を行う。

入院3日目〜4日目と次第にチューブや点滴の針やらが取れていき、大都市では不要不急の外出自粛で息を潜める土曜日、ようやく退院。
5日ぶりに下界の空気を吸った。

病院をあとにしてからまっすぐ家に帰り、洗濯したりメールのチェックをしてるうちに猛烈に疲れが押し寄せてきた。
自分の部屋に帰ってきてホッとしたのかな。
今にして思うと、病室での人間関係に疲れていたのかも知れない。

入院してきた日は4人部屋に私ともう一人だけだった。
その人は次の日、私が手術から戻って落ち着いたころにはもういなかった。退院された様子ではなかったが。

それと入れ替わりに両足骨折からリハビリ中のおば様がやってきた。
私がいた病院は診察する科によってフロアが違うのだが、何らかの事情で引っ越してきた。
おしゃべり好きな方のようで、私含め看護師さんにも先生にも誰かれともなく話かけてくるご様子。ついでに言うと寝ている時もにぎやかだ。

一方、私は必要最低限のことはほぼしゃべらない。
積極的に話かけるタイプでもないし、話もなかなか広がらない。
別におば様がどうこうではなく、慣れない環境や人に対応するのが難しくて、ものすごく壁を作ってしまう性質である。
だから、初めのうちはものすごく壁を作ってると思われがち(実際、そうなのかも知れないけど)

次の日だったか、そのおば様のもとに前いたフロアの先生がやってきて
「どう?新しいところでお友達とかできた?」
と話しかけていたのが聞こえて、ちょっと胸が苦しくなった。
先生はここは科が違うし…とかいろいろ言ってたけど、入院していても、そういうのを気にしてしまう自分がいて、ブルーになってしまった。

コミュニケーション。人間関係。
どこにいても2人いれば「人間関係」が出来るんだな。
好むと好まざる関係なしに。

そうこうしてるうちに残り2つのベッドにまた新しい人がやってきた。
2人は再入院のようで、看護師さんや先生とも顔なじみで和気あいあいとしゃべったりしている。
あの看護師さん、私にはあんな風にしゃべらないよな、とか変に比べてしまったり。

私以外の3人は年が近かったり、症状が似ていたりして、何やらコミュニケーションが図れてそう。私はほぼ引きこもり。
さいわい、もう退院することになったので、あの空間から離れることができたが、もし入院生活が長丁場になったら、私のいない間に何か噂されるようになるんだろうか。そんなことはないと思うけど…思いたいけど…
ちょっと弱気になる。

カーテンで仕切られて、環境的にも配慮されている病室でもこれだけ気を使ったのに、災害の避難所だとどうなってしまうんだろう。
そういう非常時のことも考えておかないといけないかも知れない。

一人で眠れる静かな空間。
何ものにも煩わされない自分だけの空間。
今の私にはかけがえのないもの。
ここにようやく帰ってこれたんだ。
その安心感から来た疲れだったのかも知れない。

(トップ画像はPrawnyによるPixabayから頂戴しました。Thanks)

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