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ロング・グッドバイ、父が亡くなったはなし。

私の父は、照明デザイナーとして、それなりに名を馳せたひとでして、
古くはQUEENやロッド・スチュワートのコンサート照明。
最近だと栗山民也演出の舞台や、高畑充希主演の奇跡の人、野村萬斎演出シェイクスピア等々。
今年2019年、読売芸術賞のスタッフ賞も受賞しました。本人はどうでもよさそうだったけど、家族としては本当にうれしい受賞でした。
まあ、とにかく、本当に。自慢の、自慢の父だったんです。

小さい頃は、全国公演について旅に出てしまったり
海外公演で家を留守にしたり、東京にいても、泊まり込みで照明プランを作ったきり何日も帰ってこなかったり。
全然家にいない父は、小さい私にとっては少し遠い存在で、
会ってもなんだか緊張して、素直には甘えられないお父さんでした。

山本寛斎さんのファッションショーやダンスカンパニーの公演で、
ロシアやインド、メキシコへ行って長いこと帰ってこないお父さんが、スーツケースにお土産をどっさり買って帰ってきてくれる。
どこか遠くでお仕事をがんばっていて、たまに帰ってきてくれるのが、当たり前だった父。
時々しか会わない分、一緒にいても内心、父とどう接してよいか、父も私も分かっていなかった、
父娘どこかちぐはぐな、そんな子供時代でした。

父と会話ができるようになったのは、私が大人になってから、
父と人間として対等に話せるようになってからのことでした。
私がお芝居が好きになってから、
父がどれだけの才能と、どれだけの努力で、
これだけの仕事をしてきたのか、ということが分かるようになってからは、父との距離が縮まったように思います。

父が関係しているお芝居を観るだけで、
最近の話題作がまあまあフォローできるものだから、芝居好きの私は、
ずいぶんいい思いをさせてもらいました。

パーマ屋スミレ、あの作品を観た時の衝撃と感動は、何年たっても忘れられないです。
帰り道、これが父の仕事なんだと思うと、うれしくて、誇らしくて。
父に電話したら、本番中なのに終演後、私から電話がかかってくるのを待ち構えていたお父さん。
そういうときが、私にとって父との絆を感じる瞬間でした。

父は、倒れる前日まで、仕事をしていました。
あの台風の日だって、翌朝から現場出て、(結果的に公演は中止になってしまったけど)朝から準備をしていました。
最後まで仕事して、お酒飲んでタバコ吸って、自宅で自分らしく暮らしたのが
お父さんらしいです。

ちょっと不思議になるくらい整った顔でハンサムな父。服はいつもGパンにGジャンにコンバース。
気取った格好すると、見た目でやっかみ焼かれるからな、雑な服装でちょうどいいんだよ、
とかとんでもないこと言っていました。
でも実際、本当にハンサムな人でした。(あまり子供達には遺伝しなかったけど笑)

がんと診断されたあとも、自宅で、自分らしく一人暮らしを貫いたお父さん。
入院なんて、最初のちょっとだけしただけで、
どんなにしんどくても、家で過ごす、仕事をする、自分らしく普通に暮らすことを、貫いたお父さん。

治療で食欲が落ちても、おいしいご飯を作るのがなによりもの楽しみで、
遊びに行ってもなんもしない末娘の私と、父の身の回りの事を一手に引き受けてくれてた働きものの姉に、
たくさんのごちそうを作ってくれました。

子供のころは、ばらばらな家族だった私たちでしたが、
最後の一年は父を中心に、何度も何度も食卓を囲みました。
美味しくて、笑顔に溢れたたくさんのご飯の記憶。
そのどれもが、本当に大事な思い出です。
仕事仕事人生だった父の最後に、こんな時間が持てたこと。
父は病気になってよかったとすら言っていました。

思ったよりも早いさようならになってしまったけど、
でもこの一年間、本当に、本当に楽しかった。
最後まで、お父さんと楽しく飲んだ記憶で終わっています。
それって幸せなことだと思うのです。

こんなあっぱれな最期もあるのだと!我が父ながら、最後までかっこよかった。

手前みそですが、
大好きな父について、どこかに書き残したくて、このnoteを書きました。
読んでくださった方、ありがとうございました。



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