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積み重ねる夏の記憶


夏が好きになったのは、いつからだろう。

厳密にいうと、今も夏は大の苦手で、
「好き」というほどではないのだけれど、

少なくとも、小さい頃に憎き天敵のように
思っていたあの夏は、

今では、苦手だと思っていたけれど共通の趣味が
見つかった友達、くらいには距離が近づいた
気がする。


朝から蝉のじいいっという、耳にべったり
貼りついて離れない音を聴きながら思い出すのは、
高校生のときに訪れた「人生で一番の夏」のことだ。

日本に本帰国してはじめての夏、わたしは生まれて
はじめて恋人ができた。

それも、ほぼ一目惚れに近い形で恋に落ち、
付き合うまでの経過も漫画のような展開だった。

その時期に出会った、後に一番の親友になる友達は
わたしの恋を全力で応援してくれたし、そのおかげ
で、大学受験も無事に成功を収めることができた。

不器用だったわたしが、はじめて恋も親友も夢も
手にした、奇跡みたいな夏だった。


けれどその夏は、わたしが想像していたよりも
ずっと早く終わりを告げて、あっという間に
秋がきた。

わたしよりも成績が良かった彼と親友は受験勉強を
延長することになり、わたしだけ、予備校を
卒業した。

それからの毎日は、今も思い出すだけで胸が
きりきりと痛むような、寒くて寂しくて心細い
日々だった。

「もう、終わりにしよう」

彼の口からその言葉が頻繁に出るようになったのも
この時期で、一年で一番短いはずの秋に、何十回も
別れ話をしては泣き、家族に泣いたことが悟られ
ないように暗い夜道をわざと遠回りして帰っていた。

関係が良好になってからも、しばらくは秋がくる度に
絶望的な心細さに襲われ、深い傷を残す出来事だった。


その後わたしたちは、何度も夏を一緒に過ごした。

旅行をしたり夏祭りに出かけたり、もうこれ以上
やることがないというくらいに夏らしいことを
一通り満喫した。

その一つ一つはもちろん楽しかったし、思い出に
残っていることもいくつかあるのだけれど、
何度繰り返しても、あの短い夏を超える夏は
なかったように感じる。

もしかして、あの夏は幻だったのかも、と、今でも
たまに思ってしまうくらい、眩しくて全力の日々
だった。


結局その後、何年か経って別れたのも夏だったから、
いい思い出だけではないはずなのに、悪い思い出は
もうほとんど記憶の中には残っていない。

じりじりと突き刺す直射日光も、もわっと全身を
包む熱っぽい空気も、それらから逃げるようにして
駆け込んだコンビニのひんやりした空気も、全てが
「楽しかった夏」の記憶として変換されてしまって
いる。

大人になるにつれて、毎年少しずつ夏が好きに
なってきているのは、毎年繰り返す夏のなかで、
心に残っている夏の記憶のかけらが積もっていって
いるからなのかもしれない。

「忘れたくない夏」のフィルターを通って、そこに
合格した記憶だけが、毎年一つずつ、積み重ねられて
いく。


今年はどんな夏になるのだろう。

来年のわたしは、今年の夏のどの記憶を残して、
夏の記憶を形作っているのだろう。

来年の自分がもっと夏のことを好きになってくれて
いたらいい、と思いながら、どこかでまだ鳴いている
蝉の声を聴く。

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