夏の終わりを逆走する
「海に行きたい」
彼に唐突にそう電話したのは、ちょうど一週間前の
ことだった。
「いいよ、行こうか」
海に行くことは、こうして案外あっさりと、彼の二つ
返事で決まった。
「どうして急に電話しようと思ったの?」
わたしが電話をかけたことが、どうやら彼には意外だったらしい。
驚いたような笑い声が、右側から聞こえてくる。
そういえば、彼の声を聴いたのは久しぶりだったなあと、布団の中でまどろみながらぼんやり思っていた。
たしかに、この4年間、わたしから彼に電話をかけた
ことは一度もなかったかもしれない。
「うーん、なんとなく」
そう言って、わたしも笑った。
どうしても、今年の夏が終わる前に、海に行きたい。
電話をかける数日前、突然そう思い立った。
海に行ったって泳いだりしないし、暑いのも苦手だから
浜辺に行くのはたぶん日が落ちてからになると思う。
それでもわたしは、どうしても今年の夏が終わる前に、今年の海を見ておきたい、と思ったのだ。
小片瀬江ノ島行きの電車が、小田急線のホームにのろ
のろとやってくる。
8月29日、夏も終わりに向かう頃。
わたしは今から、夏を逆走する。
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