見出し画像

恋人の家族と1泊2日のキャンプをしたら "ちょうどいい距離感" を越えたくなった。



彼の家族と、はじめて1泊2日の旅行をした。
正確には、泊まりでキャンプに行った。

ちなみに、「彼」というのは付き合って1年半の恋人のこと。

まだ正式に結婚や婚約などをしている間柄ではないのだけれど、将来のことはふたりで話していて、お互いの家族にも何度か会ったことがある。




「今度の休みに家族でキャンプに行くんだけど、一緒にどう?」


1ヶ月前、彼にそう誘われたわたしは、


「楽しそう。行きたい!」


と、すぐに返事をした。


ところがそれを両親やまわりの人に話すと、



部長「えっ、ご家族とはじめての泊まりでキャンプ?それはけっこう気を遣うねえ」


「ご両親だけくるんでしょ?あ、妹さんも?えっ、全員来るの?!」


「それは緊張するなあ。くれぐれも、粗相のないように……」


という反応が返ってきた。

たしかに、世の中には「嫁姑問題」というものが存在し続けているし、彼と相性がよくても家族一人ひとりとの相性が合うとは限らないし、家庭によって文化だって違う。

そんな小集団の中に1人で入っていく、しかも泊まりで2日間一緒に過ごす、というのは、場合によってはかなりストレスフルなことかもしれない。

彼の家族とは既に何度か会っていたから、きっと大丈夫だろうなとは思っていた。けれど実際は、その気楽な予想も越えるような2日間を過ごすことになる。

1泊2日のキャンプは、わたしが「恋人の家族」との関係性や距離感をあらためて捉え直す、大きなきっかけをくれた。




***



ここ数日の寒さが嘘のように、ぽかぽかとあたたかな朝。京王線の北野駅で彼のお母さんが運転する車にピックアップしてもらい、みんなでパン屋さんへ向かう。

車内ではずっと、会話が止まず繰り広げられていた。ラジオも音楽も一切流れていないのに、その空間に静寂が訪れることがなくて驚いた。

話題を提供するのは、大体お母さん。

たとえば「最近参加したセミナーで考えたこと」について話をすると、それに対して彼の妹が別の視点からの意見を述べて、それに対してお母さんがまた持論を展開して……と、我が家では一度も見たことがないような光景が広がっていて、圧倒される。

普段はここに、彼やもう一人の妹も参戦して、議論は白熱するらしい。

わたしはただ後部座席でふたりの会話を聞くことしかできなかったけれど、家族にはいろんな形があるんだなあと感心してしまった。





パン屋さんに着いて、もう一台の車で来ていたお父さんたちと合流する。

「うちの家族は、写真を撮る文化がない」と聞いていたのが嘘のように、彼以外はみんな写真を撮っていて笑ってしまう。

レーズンが入ったフレンチトースト。



朝ごはんを食べてから向かったイオンモールでは、「あれ作ろう、これ食べよう」とみんなが好き好きにカゴに食材を入れていくのを眺めているのが楽しかった。

料理が苦手なわたしも、事前にメモしてきた簡単なメニューに必要な食材を彼と一緒に探しまわる。

彼の両親がいたからか、久しぶりに大きなモールに足を運んだからか、なんだか子供の頃に戻ったみたいでわくわくした。

お会計を済ませ、わたしと彼が荷物を詰めていると、お母さんが「輸入食材のお店見てくる!」と言って颯爽と向かいのお店に入っていった。

彼女は、アメリカで売っているという玉入れの玉くらい大きなマシュマロの大袋と、ウエハースのお菓子を両手に持って帰ってきた。

一番下の子に「マシュマロもう買ったじゃん…また買ってきたの?」と言われ、「でも、これもおいしいのよ」と言い返している姿を見た時は、思わず笑ってしまった。

なんてチャーミングな家族なんだろう。

彼らの自然な一面を垣間見ることができて、わたしはなんだか嬉しくなる。



また車で少し走り、古民家カフェでお茶をしてから、わたしたちはキャンプ場に到着した。

BBQは15時過ぎから始まり、それぞれが分担をしてお肉を焼いたり、野菜を切ったり、シチューを煮込んだりしながら、お酒を片手に談笑する。

10月末の秩父の空気はひんやりと冷たくて、みんなで火を囲むにはちょうどいい気温。

おいしいご飯とお酒を頬張りながら、それぞれの過去の話や未来の話、わたしの家族の話なんかをする。

自然の中でご飯を食べているからなのか、幅の狭い木のテーブルを囲んでいるからなのか、なんとなく距離が近づいたような感覚になる。



普段、自分の家族とはしないような、内面に深く潜り込むような話をたくさんして、みんなの話もたくさん聞いた。

自分のことを話すのが苦手だったわたしが、彼と出会って少しずつ話せるようになってきたのと同じように、彼の家族の前でも、前回よりは自分の想いや傷口に触れるような話ができるようになっていた。

一人ひとりと話をしながら、みんなほんとうに真面目で、思いやりに溢れていて、一生懸命生きている人たちなんだなあと思った。

そんな人たちの中に自分がいることが素直に嬉しかったし、尊いことだなあと思ったら、なんだか胸がきゅっと締めつけられた。

時間をかけてゆっくり食事をしていたら、昼間たっぷり買い溜めた食材も、そのほとんどがわたしたちのお腹の中におさまっていた。

彼の妹がつくるシチューは本当においしい。
何歳になっても、キャンプにマシュマロは欠かせない。




お腹も満たされて、お開きになったのは21時。あっという間に時間は過ぎて、6時間も談笑していたことに気づく。

部屋に戻り、急に辺りが静寂に包まれてから、ふと「ああ、わたしはこの家族の一員になれるかもしれない」と思った。

正確には、もうなりつつあるのかもしれない、と。






正直わたしは、「恋人の家族」との距離感について、今まで何も考えたことがなかった。

考えたことがなかった、というより、こだわりがなかった、という表現のほうが正しいかもしれない。

好きな人とふたりで一緒に生きていく上で、相手の両親とは特に諍いが起きることなく、平和に、一定の距離を保って付き合えたらそれでいい。それ以上でも、以下でもない。ずっとそう思っていた。

だけど、わたしはこの旅行を通して「彼らに受け入れられている」ということをたしかに感じた。

そして、「わたしは、この家族の一員になるのかもしれない」と思ったし、なりたい、とも思った。

そんな感情ははじめてで、なんだか不思議な感覚だった。





わたしがこの時感じた「一員になる」という感覚は、「彼の家に嫁ぐ」みたいな意味合いとはちょっと違う。

苗字だって、気持ちとしてはずっと今のままがいい、という話も彼としている。

そういう形式的な話ではなくて、彼と一緒に生きていくことによって、彼の家族という「仲間が増える」みたいな、そういう明るくて力強いイメージが、わたしの心にぽっと宿ったのだ。

「誰かと一緒に生きていく」というのは、もしかすると「相手を取り巻く色々な人たちと、みんなで一緒に生きていく」ということなのかもしれないな。

この時はじめて、わたしは自然とそんな風に思った。

帰り道、偶然みつけた山の上のカフェ。




翌日、あろうことかお母さんの運転する車の後部座席で彼と一緒にすやすや寝息を立ててしまい、やってしまった……と反省しながら家に帰った。

(前日、寝る前に大きな蜘蛛が2匹も出てきて眠れなかったから……という言い訳をここではしておく。)

けれどその後すぐに彼から連絡がきて、そんなわたしを見たお母さんが


「ななみさんがこんなに素でいてくれて、嬉しい」


と言っていたよと教えてくれて、なんて優しい人なんだ……と、心の中で全力で拝んだ。




***




彼の家族と2日間を過ごしたことで、わたしには応援したい人、大切にしたい人、幸せを願う人が増えた。

そのこと自体がとても幸せなことだなあと思うし、奇跡みたいなことだなあとも思う。

叶うなら、わたしはもっと彼の家族と仲良くなりたいし、建前だけの "ちょうどいい距離感" なんてものを飛び越えたい、そう思っている。

まだまだ気が早いかもしれないけれど、わたしは今から、彼らと一緒に過ごす未来が楽しみで仕方ない。



***
旅の様子は、Instagramにまとめています。
素敵な場所がたくさんあったので、よかったら覗いてみてください ◯

@nanami_okazaki_



この記事が参加している募集

最近の学び

いただいたサポートは、もっと色々な感情に出会うための、本や旅に使わせていただきます *