他人同士のふたりでも、一緒に生きてみたいのは
「結婚したい」と思っている彼に、「それをする相手がわたしである必要はあるの?相手は誰でもいいんじゃない?」と言うことは、なんて残酷なことなんだろうと思った。
だけど、わたしは言ってしまった。
彼を傷つけてしまうかもしれない、と心の隅では思いながら。
どうしても、言わずにはいられなかったのだ。
「結婚したい」と思ってくれていることは、心の底からうれしかった。だけど具体的な話が進むにつれて、"結婚" という言葉が一人歩きして「相手が自分であることに自信がなくなってしまった」という、自分の感情も大切にしたかった。
そして何より、その事実を知ってほしかった。
こんな幼い感情でも、自分の中に生まれた心の動きだったから、見てみぬふりをするわけにはいかなかった。
午前1時半。
スマホの画面いっぱいに収まりきらない分量の、長文のメッセージを送ってから、わたしは絶望的な気持ちと、開放感が半分ずつ入り混じる心を抱えて、ベッドに沈み込んだ。
そして翌日、22時。
案の定、彼から電話がかかってきた。
イヤフォンから「もしもし」と聞こえたら、まずは電話をかけてくれたことに対して「ありがとう」と、伝えようと思っていた。
あんな長文を読んで、わたしに何か言わなきゃと電話をかけてくれてありがとう。面倒くさがらず、こんな幼い自分と向き合ってくれてありがとう。
そんな想いで「ありがとう」と第一声を発したら、
「え、そうなの?そっか……」
と、気の抜けた返事が返ってきた。
「え、そっかって。どういうこと?」
予想外の返事に、わたしも驚いて聞き返す。
「いや、想定外の返事だったから……」
電話越しの彼は、戸惑っているようだった。
状況を把握するために、まずは彼の話を聞くことにする。
朝、わたしの重たい長文を読んでからこの電話をかけるまで、彼は一体どんな気持ちで過ごしていたのだろう。想像してみる。
「朝、ななみからのLINEを読んで、この人は本当にいい人だなあと思ったんだよね。言ってることが、正しすぎて、いやもう、その通りだなって。」
「改めて、賢いなあって思って。感動してさ、伝えようと思ったんだけど、文章だと伝え方がわからなくて……それで夜、電話しようって思ってたの。」
「……そっか……?」
今度はわたしが困惑する番だった。
彼の反応は、あまりにも予想外なものだったのだ。
わたしの予想では、
「これから一緒に生きていくことに対して、不安になった」
とか、
「やっぱり価値観が違うって、難しいね」
とか、そういう否定的なものだと思っていたから。
だけど彼の返答は、わたしの予想の遥か斜め上から回転しながら降ってきたような回答で、思わずわたしもつられて笑ってしまった。
「え、なんで笑ってるの?」
心なしか安心したような、軽やかな彼の声を聞きながら、噛み締めるようにそれを言う。
「いやあ、なんか、面白いなあと思って。」
わたしと彼は他人で、こうやって伝えてみないと、まだまだわからないことだらけなんだな。
正直、彼がわたしの想いを受け取って、どう感じるのか全くわからなかった。
いくら彼が優しくて、相手の意見に対して常に耳を傾けてくれる人だとしても、今回ばかりは今までの人生や、価値観の深いところに関係している話だし、傷つけてしまうことは避けられないと思っていた。
だけど実際の反応は、全く違ったのだ。
むしろ「伝えてくれてありがとう」と感謝すらしてくれたし、何より彼は傷つくどころか妙に明るく、「いやあ、さすがだよ」なんてへらへら笑ってなんだか嬉しそうで、拍子抜けした。
こんなの、全然わからなかった。
わたしが自分の感情を、彼に伝えるまでは。
彼が電話で自分の想いを、わたしに伝えてくれるまでは。
お互いの反応も、考え方も、感じ方も。お互いに自分の想いを伝えることをしなかったら、知ることのない事実だった。
感情を隠してしまっていたら、我慢していたら、一生分かり得ないことだった。
わたしは彼を、自分を、自覚している以上にまだ信じきれていなかったのかもしれない。心配しすぎていたのかもしれない。
そのことにも、こうして伝えてみなかったら、きっと気づけなかった。
「俺はもしかすると、どこかで諦めてたのかもしれないなあ。所詮他人だし、完全には分かり合えないって。想いを伝えるのも、エネルギー使うし。」
「でも、ななみがこうして自分の感情を冷静に伝えてくれたから、そうか、俺たちはもっと話し合わないといけないなあ、って思った。」
しみじみとそんな感想を述べる彼の声を聞きながら、わたしはこの人と一緒にいるから、ちゃんと人として成長していけているのかもしれない、と思った。
はじめて付き合った恋人とは、3年間も一緒にいたのに会話もろくにしなかった。その後4年間過ごした人とは、わたしが対話することを諦めてしまって、一緒にいる意味がわからなくなり、結局お別れした。
それが、1年前。
そこから、誰かに過度な期待も干渉もしなくなったわたしだったけれど、それがこの半年で、少し変わった。
相手を理解するために、誰かと一緒に生きていくために、諦めずに対話をしようと思えるようになった。
それは、わたしの感情を伝えると、どんな内容でもまずは必ず「ありがとう」と言ってくれる彼の素直さと、その上で「一緒に考えよう」と寄り添ってくれる、彼の誠実さがあったからかもしれない。
自分の感情を言葉にして伝えることは、難しいし怖いし、とても面倒なことだ。
それも、相手の価値観や考え方、大切にしているものをひっくり返したり、傷つけたりすることにつながるような内容の場合は、なおさら。
とてもエネルギーがいるし、心が削られる。
だけど、それを覚悟で伝えた感情は、ちゃんと相手の心の真ん中に届く。
その感情のやり取りを、永遠に繰り返すことができる相手とだから、他人同士でも一緒に生きていくことができるのかもしれない。
「一緒に未来を実現していくのは、ななみじゃなきゃだめだよ。理由は、たくさんあるよ。」
そんなことを言ってくれる、まっさらで直球な彼の優しさに、わたしはいつも救われている。
わたしはやっぱり、この人と一緒に生きてみたいな。
昨日とは裏腹に、明るい未来の映像しか浮かんでこない自分の単純さに、思わず自分で笑ってしまった。
こうして他人同士のふたりは、この先もずっと対話を繰り返していくのだろう。
時には泣いて、時には笑い合いながら。
この記事が参加している募集
いただいたサポートは、もっと色々な感情に出会うための、本や旅に使わせていただきます *