私はたぶん、まだ愛を知らない


「今まで、本気で人を好きになったことないん
じゃない?」

これは、会社の研修で行ったワークの後、同期の
男の子に言われた一言だった。

言われた瞬間、頭に衝撃が走った。


ワークのテーマは「ジョハリの窓の開放の部分を
広げる」。

「今までの人生で、家族にも友達にも言っていない
秘密を3つ共有する」というお題が出た。

わたしは悩みに悩んだ結果、恋愛にまつわる秘密を
話した。

そのワークの最後で各メンバーから直接コメントを
もらう時間があって、そこで彼に言われたのが
この言葉だった。

聞いた瞬間、わたしは自分に入ってこようとする
彼の言葉を、全体力を使って追い出そうとした。

「一回、本気で誰かを好きになってみたら、
考えが変わるんじゃないかな」

彼の言葉は、はじめは驚きとしてやってきて、
その後にふつふつとした静かな怒りと悲しみ、
戸惑いがやってきた。

正直に言うと、プライドが、傷つけられた。


今まで、真逆のことを言われることには慣れていた
けれど、「本気で人を好きになったことがない」
なんて言われるのは、はじめてだった。

人生を振り返っても、苦手だった人はいても嫌いな
人はいなかったし、むしろ誰のこともすぐ好きに
なってしまうという悩みと一緒に長年生きてきた。

仲の良い友達からも、「よくそんなにすぐ人のこと
好きになれるね」とか、「どうしてそんなにずっと
一人の人を好きでいられるの?」と言われることは
あっても、その逆のことを言われることはなかった。

「人をすぐ好きになる」のは、わたしの弱点でも
あり、取り柄でもある。そう信じていた。

だから、わたしは彼にそれを否定されたみたいで、
腹が立った。

「全然わかってない」と、言ってしまいそうだった。


研修が終わった後も、しばらくこのもやもやは
続いた。

わたしは今まで、こんなに人を好きになってきた
のに。

諦めきれない恋だってたくさんしてきたし、
周りなんて全くみえないくらい一人の人を好きだった
時期もあるのに。

本気で人を好きになったことがないなんて、
どうして言えるの?

というか、本気で好きってなに?
そもそも、わたしと彼の好きの定義って同じ?

…そこまで考えたとき、はたと気づいた。

わたしは、自分の意思ではなく、自然発生的に
「好きになってしまう」ことはあっても、自らの
意思で、「好きになる」ことは、なかったんじゃ
ないか。

そのとき、同時にエーリッヒ・フロムの「愛する
ということは、技術である」という言葉をふと
思い出した。

わたしはただ、誰かに「恋に落ちる」という感情の 
動きだけを見て、自分が「人を好きになる力がある」
と思って生きてきただけで、自分の意思で「この人
を愛そう」と努力したことはなかったんじゃないか。

…ない気がする……。


これ以上考えるのは怖かった。

でも、その怖さの裏には、気づいてしまったことに
対する興奮もたしかにあった。

わたしは誰かに恋をしたことはあっても、
愛したことはないんじゃないか?

これだけ人を好きになってきたのに、それらは全て
恋という一時的な感情で、自分の努力で、誰かを
愛したことなんて、一度もないんじゃないか。

今まであれほど「愛と恋の違い」について考えたり
議論したりしてきたのに、その自分が、何も分かって
いなかったなんて。

今まで見てきた世界を覆っていた分厚い膜が、
今、勢いよくめくられるのが見えた。


思い返せば、たしかにわたしはいつも自分の気持ちが
優先で、片思いでも両思いでも、相手のことなんて
全然考えられていなかった。

だからいつも相手が何を考えているのかが分から
なくて、信じられなかったり、自分の都合の良い
ように解釈してしまったりして、ひとりで迷路を
彷徨っていた。

そこにはずっと、一方通行の「好き」しかなかった。

恋に、恋していたのかもしれない。

そう思うと、身震いせずにはいられなかった。


わたしに愛がわかる日は、くるのだろうか。

誰かを愛する感覚というのがどういうものなのか、
わかる日はくるのだろうか。

あまりにも大きすぎる満月を見上げながら、

愛がわかったとき、目の前に見える世界は一体
どんな世界なんだろう、と思いを馳せた。


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