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思い出すために、旅に出る


時々、全てをリセットしてゼロから
新しい人生をはじめたくなるときがある。

そういうとき、わたしには2通りの選択肢がある。

ひとつ目は、自分のことを全く知らない人が集まる、
新しい場所に足を運んでみること。

ふたつ目は、誰とも会わずにひとりで喫茶店に
こもること。

新しい人との出会いも、ひとりで過ごすことも、
どちらも「枠にはめ込まれた自分」を解放して
くれる、有効な手段だ。



旅は、その完成形だ。

自分が新しい自分になりたいとき、何者にもなりたく
ないとき、まっさらな状態になりたいとき。

「旅に出よう」と、思う。

旅に出れば、どちらも叶えることができる。
新しい人と出会うことも、ひとりになることも。

好きなタイミングで、自由に選ぶことができる。

自分のことを知っている人がひとりもいない街で、
どんな人がどんなことを考えながら暮らしているのか
わからない街で、ただ気の赴くままに歩き、

気になるお店があれば扉を開け、そこに偶然いる、
名前も肩書きも知らない人と話をする。

その間、わたしは何者でもない自分を、何者にも
ならなくていい自分を手に入れることができる。



ひとり旅をする前は、「自分探しの旅なんて、
意味がない」という声になんとなく賛同してきた
けれど、実際に旅をしてみて、今は「そんなこと
ない」と思う。

ただ、感覚としては、旅を通して自分を「探す」
というより、自分を「思い出す」と言った方が
近いかもしれない。

ひとりで知らない街の知らない道を歩いているとき、
わたしはたしかに「ああ、今の自分は、自分だ」と
感じる。

好きな時間に起きて、好きな道を歩いて、好きなもの
を食べて、好きなだけ本を読み、話がしたくなったら
近くにいる人に声をかける。

その「好き」の連続が、自然体の自分、心地よい
自分を思い出させてくれる。

「ああ、これが自分だったな」と、気づかせてくれる。



一度旅に出たからといって、日常に戻ったら、また
すぐに窮屈な枠組みにはめ込まれて苦しくなること
は変わらない。

だけど、だからこそ、自分を思い出させてくれる旅は、わたしにとっては必要不可欠なのだ。

今は旅に出ることも、新しい人に出会うことも憚られる世の中だから、近場で行ったことのない街に足を
運んでみる、くらいのことしかできないけれど、
またはやく旅ができる日がくればいいなと思う。



それまでは、行ってみたい街の地図や写真を眺めて、
想像の中で旅の準備を進めておこうと思っている。


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